花魂 HANADAMA

花魂 HANADAMA
花とやもり チラシ

2012年4月12日木曜日

「花とやもり」覚書

[花とやもり覚書.1]
西村陽一郎 「男性をフォトグラムで撮影したことはないが、力強さが出せるかもしれない。可能なら、これまでどおり女性を入れたい」
上野雄次 「西村さんの作品に加えることはあまりない。しかし、スタジオ撮影ではなくライヴなら、できることがあるかもしれない」
横滑ナナ 「写真も花も詩唱も、共演者としては初めて。この組み合わせで、奇跡が起こればいい。奇跡のような関係を大切にしたい」

『花とやもり 写真〈フォトグラム〉に夢見る』の始まりは、偶然だった。2011年4月6日(水)、神田神保町を歩いていて、ふと「西村陽一郎」の名を目にとめた。画材店、文房堂4階のギャラリーで、「松蔭浩之×西村陽一郎『写真』展」が行われていた。西村との関わりは長い。1990年に渋谷のパルコ劇場で芝居の取材をした時に始まる。以来、雑誌やPR誌や単行本などで、私が原稿を書き、西村が写真を撮るという仕事を何度も行った。彼の仕事場は四谷の奥まった場所にあって、たいへん興味深い場所なのだが、そこで撮影をさせてもらったこともある(まだ作品化できていない)。私にとっては、さまざまな記憶を共有する写真家である。その彼が写真展を行っていると偶然にも知ったなら、見なければならない。ギャラリーに上がると、果して本人がいた。二人展だが、明らかに西村の作品とわかる写真で、等身大の女性裸像が白と黒に浮かび上がるものがあった。

最上段は、『花とやもり』チラシ表面(写真;西村陽一郎、モデル;横滑ナナ、花;上野雄次)

画像1)は、「松蔭浩之×西村陽一郎『写真』展」が行われた「BIGAKKO ANNUAL REPORT 2011」のチラシ表片面

[花とやもり覚書.2]
 西村に尋ねると、これはフォトグラムと呼ぶ手法だという。題名は、白く浮かび上がって、頭を下に、刃物を片手に落ちて行く姿が、『ama』。反対に黒く浮かび上がり、頭を上にして下一面に鳥の羽を散らした姿が、『ikaros』。前者は謡曲の『海士』、後者はギリシャ神話のイカロス伝説に依っている。
 西村がレンズを通さない写真を撮っていることは知っていた。何度も展覧会に足を運んだ。女性を撮影したものも、見たかもしれない。しかし、目の前の二点ほど大きく、インパクトのあるものはなかった。直感的に、このモデルに自分がなりたいと思った。この直感については、後からいくらでも説明できる。私は詩を書き詩唱を行うが、言葉には少なからず意味があり、意味から自由ではいられない。本人が自由だと思っても読んだり聴いたりする人は、どうしても意味で受け取る。しかし肉体表現は、意味性からの自由度が高い。少なくとも言葉より。西村の前に自分の裸身をさらけ出し、西村の命ずるままに形を作ってみたいと思った。つまり自由への憧れ。
 次に『ikaros』が顕著だが、羽が散らしてある。これを花にできると思った。花といえば、花道家の上野雄次である。彼とは“詩と音楽を歌い、奏でる”「トロッタの会」を始め、何度も共演してきた。2010年12月には、谷中ボッサで六日間の連続講演『花魂 HANADAMA』を行ったばかりだ。その時に自分へ向けた課題が、“いかに裸になるか”だった。

画像2)と3)は、西村陽一郎のフォトグラム『ikaros』と『ama』


[花とやもり覚書.3]
 私は1980年代の初期にヴィデオ作品を撮っていた。その機械性をしばしば疑問に感じながら(例えば、停電したら成立しない表現である)、素材がなくなった時は自分の肉体を撮るのだ、とも思った。肉体を撮るとは最後の手段で、逃げ場をなくしたいという思いの表われである。撮影者もカメラの陰に隠れるのではなく、カメラの前に立たなければ! 詩は書くだけでなく、人前に立って詠み、それ以上の表現にしなければ、私は自分を卑怯だと考えている。安全地帯に立って他人を批評したくない。その意味で、私は上野雄次の花の表現に共感する。「トロッタの会」で共演する音楽家にも共感する。
「トロッタの会」は基本的に音楽会だが、そこに花のライヴパフォーマンスを加えることで、聴覚のみならず視覚にも訴えるものになっている。それが絶対によい効果を生んでいるかは結論が出ておらず、上野本人は時に、視覚性が聴覚性の妨げになっているのでは? という疑問を呈する。しかし、西村のフォトグラムなら始めから視覚表現だし、上野の花と、何らぶつかりあうものではない。高い相乗効果が期待できると思った。
 この時点で考えていたのは、私がモデルとなり、西村がフォトグラムを行い、上野雄次が花の表現で関わり合って来る、というものだった。その日のうちに西村に考えを伝えたかどうかは覚えていない。翌4月7日(木)も私は足を運び、この時は確実に、私なりの働きかけを西村に対して行った。感触はよいものであった。必ず実現できるし、したいと思った。すぐさま上野雄次にも連絡を取った。気持ちを逃したくなかった。

[花とやもり覚書.4]
文房堂ギャラリーの会期は9日(土)までだったが、『ama』と『ikaros』の画像とフォトグラムの作り方を西村に電子メールで送ってもらい、それを上野雄次に転送した。できれば展覧会場に足を運んでもらえないかと。上野の感触も、まずはよいものであった。
 ここで書き添えておく。谷中ボッサの『花魂 HANADAMA』で、“裸になること”が私の課題だったという点。それは先に書いた、逃げ場のないところに自分を置く、ということにつながる。『花魂』において、私は初めて即興で詩唱した。西行の歌「ねかはくは 花のしたにて 春しなん」や、友人から寄せてもらったいくつかの題はあった。それらをもとにしたものの、基本的には即興を心がけた。上野雄次が即興で行うのに、私だけ詩を暗記して、段取りで演技しては駄目だと思ったから。即興をするなら、今までの自分を捨てなければできない。そのため、実際に裸になりもした。服を脱いだから精神的にも裸になったかというと違うだろう。酔っぱらいでも裸になる。そうではなく覚めていて、始めは意識的に、最後は無意識的に裸になれるかどうか。裸の状態で言葉が出て来るかどうかを自分に試したかった。ただ、今になって思えば、言葉の即興性は低かったかもしれない。そうではなく重要だったのは、ほとんど踊りに近い肉体表現をしたことだったかもしれない。椅子にからみついて一時間動き続けたり、裸の身をボッサの硬い床に打ちつけたり。

画像4)、5)、6)は、木部自身によるポーズの試し撮り。撮影は西村陽一郎




[花とやもり覚書.5]
 西村陽一郎のフォトグラムでモデルをつとめようと思った時は、『花魂』を意識していたわけではない。女性のモデルを使ってもいいが、それをしてくれる知人がいないし、プロを雇うには費用がかかるし、といった消極的な理由が先に立った。その上で、『花魂』では裸身をさらし、さまざまな形になったから今度も、と思いはしただろう。ただ、『花魂』で私は、上野雄次とせめぎあっている。上野の過激な表現に、身の危険を感じた。どのように彼の花と私の言葉、肉体がからみあっているか、疑問に感じる時間の方が多かった。フォトグラムとはいえ、上野雄次とうまくコラボレーションできるのか? しかし、その不安、疑問を緊張に結びつけるなら、むしろ望むところである。
 後日、西村陽一郎の仕事場に上野雄次と集まり、何ができるのか相談をした。そこで見たのは、西村が、『ikaros』の羽ではない、花を使ってモデルを撮影したフォトグラム作品であった。なかなかいい、それを西村さんができるなら、自分が手を出す必要はない、というのが上野の感想であった。確かにそうかもしれない。しかし、すべて自分で行えるなら、他人と組む必要はなくなる。ときどき花のことを考える人間と、年じゅう花のことを考える人間と、どちらが思いの度合いが深いか、考えるまでもない。だから違うジャンルの人間と一緒にしたいと思うのである。何とかして、上野に思いとどまってほしかった。

画像a)、b)は、木部を素材にしたフォトグラム。西村陽一郎作成


[花とやもり覚書.6]
フォトグラムに関する、西村陽一郎の解説(『花とやもり』チラシ裏面より)

 フォトグラムは、モチーフとなる物体を印画紙などの感光材料の上に直接置いて光を当て、その影を焼き付けた写真です。フォトグラムのフォトは「光」、グラムは「図」です。子供の頃遊んだ「日光写真」や「影絵」を思い出してもらえれば近いのですが、実際は写真用に作られた感光性の非常に高い印画紙やフィルムを用い、露光後に現像作業もするため、暗室で制作します。カメラを使う写真は外に出て-光の中に小さな闇を持ち込んで-撮るものですが、フォトグラムは内に入って-闇に光を持ち込んで-撮るという面白さがあります。それは、いわばカメラの中に入るような行為でもあります。
 モノクロ写真の感光材料は、光を当てて現像すると黒く変化する性質を持っています。その性質には光の量が多いと黒が濃く、少ないと薄くなる法則があります。物が光を干渉(反射、吸収、透過、遮蔽など)することによって感光材上に落ちる光と影の中に微妙な明暗の差が生じると、それがそのまま白と黒の間を繋ぐ豊かな階調に置き換えられます。ただ光りの当たった所が黒く(暗く)暗い所が白く(明るく)なる訳ですから、出来上がりの画は実際とは明暗が逆転したもの(ネガ)になります。フォトグラムはその光学、光化学的な原理をシンプルに利用した「光の画」であり、最も純粋な写真的現象であるといえます。〈N〉

画像7)、8)、9)は、候補となった会場の下見風景。9)が本番会場の美學校



[花とやもり覚書.7]
 フォトグラムの性質を考えた時、暗室で行う以外のことが考えられなかった。ところが上野雄次が口にしたのは、暗室で行うなら自分の出る幕はないが、ライヴなら何かできるかもしれない、ということ。もちろん、観客を入れて入場料を取り、それを制作費にも還元する。元手がない以上、それは現実的な話だし、そこに上野雄次が参加する可能性も出て来た。ただそのためには、巨大な暗室を作らなければならない。どこかのスタジオを借りるとして、すべての隙間をふさぎ、完全な闇を作り出せれば、不可能ではない。
 私と西村で、都内の会場を何か所か見て回った。時間を違えて上野も見た。その過程で、西村から要望が出て来た。モデルは男性だけでなく、女性もできれば使いたい。男性の力強さと、女性のやわらかさを組み合わせれば、また新たな表現が生まれると思う。モデルのあては、当面ないのだが……。霊岸島に近いレストランで休んでいる時のことだ。
 その場で私が電話をしたのが、秦宣子である。舞踏家・大森政秀のパートナーで、ふたりとは知り合って30年近くになる。秦に相談すれば、女性舞踏家を紹介してくれるのでは、という思いがあった。では私がどうなのか、という疑問はあるが、写真のモデルになるのだから、常に形を意識している舞踏家ほどふさわしい者はない。おそらく西村は、私という男性より、未知の女性舞踏家にこそ関心があるのだろうと思った。

画像10)、11)は、チラシ裏面に使用したフォトグラム。(写真;西村陽一郎、モデル;横滑ナナ、花;上野雄次)


[花とやもり覚書.8]
 数日後、果して秦宣子から返事が来た。あてがあるという。大森政秀が直接に話をするから、会おうという。
 実はこの話が起こる前、私はふたりと、偶然、電車で会っていた。東中野に、大野一雄のドキュメント映画を観に行くところだという。私は阿佐ヶ谷、秦・大森は中野で互いに中央線沿線だから、会って不思議はない。しかし、これは本当に何年ぶりかの再会であった。さらに偶然が重なる。あるダンサーが急死してお別れの会があり、発起人にふたりが名を連ね、その会に「トロッタの会」の作曲家である今井重幸が参加した。今井と大森は、高円寺で飲み友だちなのだという。ダンサーとは私も浅いながら縁があるので、追悼の気持ちをこめて、近々開催されるトロッタの招待券を進呈した。にわかに、踊りが私に接近してきた。
 中野駅前の喫茶店で、大森政秀に会った。私の用件はふたつ。ひとつは舞踏家を紹介してもらうこと。もうひとつは、私も身ひとつで人前に立つので、アドヴァイスをほしいということ。まず、大森はひとりの女性舞踏家の名を紙に書いた。「横滑ナナ」。変わっているが、しっくりした名前だと思った。これから練習があるから、そこで紹介するという。私へのアドヴァイスは、大野一雄の言葉をいくつか伝えながら、喫茶店の狭い空間で、自ら立って手本を見せてくれた。まず動く。大森のそのような熱意が、私には懐かしかった。

画像12)は、『花とやもり』本番で完成したフォトグラム全5点のうちNo.1

[花とやもり覚書.9]
 横滑ナナとは、稽古場で会った。それまでは大森の指示で、私も身体を動かしたりしていた。ただ、私は舞踏家ではない。大森の指示はわかっても、頭と身体は別で、思うように動かせないだろう。だから踊りは横滑ナナにまかせる。私は、言葉を発するその延長で、自然な動きをしてみせるしかない。仮に、ずっと横たわったままでも、それが自然ならかまうまい。芝居をしていた時に思っていた。結局、切り詰めてゆくと言葉は消えるのではないか。喜怒哀楽を発する時、声は出るが言葉はない。意味はなくなる。動きながら発する芝居の台詞は不自然だ。動かない発声体となるなら不自然ではないかもしれない。
 横滑との稽古場での出会いは短いものだったが、数日後、彼女が最終的に参加するかどうかはともかく、今度は四人で、西村陽一郎の仕事場で会うことにした。−−忘れずに記しておくと、それまでも西村とは打ち合わせを重ね、小さな印画紙を使い、私の身体を素材にしてフォトグラムを作ってみた。フォトグラムではなく、どんなポーズが考えられるかをデジタルカメラで撮影して検証していた。私ひとりで、さまざまな振りを試みてもいたのである。その上で、横滑ナナを招き、上野雄次ともども打ち合わせをした。結論は書くまでもない。横滑も参加する。四人ともがパフォーマーとしてライヴを行う。特に西村は、撮影から現像までをその場で行って見せる。この時点で、美学校を会場とすることは決定していた。

画像12)は、『花とやもり』本番で完成したフォトグラム全5点のうちNo.2

[花とやもり覚書.10]
 もうひとつ、始めに戻って大切なことを記そう。神田神保町の文房堂ギャラリーで西村陽一郎のフォトグラムを見た時。その展覧会は、別の場所で行われる写真展やパフォーマンス、踊りなどと関連した、美学校主催の企画「BIGAKKO ANNUAL REPORT 2011」の一環だったのである。特に踊りの連続公演は、「奇妙な物質のささやきII O」として、秦宣子がオーナーをつとめる中野のテルプシコールが会場だった。全六公演の最終日には、大森政秀も登場した。中日には、大森が主宰する天狼星堂で横滑と一緒に汗を流す大倉摩矢子が出演している。横滑が出ていても不思議はなかった。西村、上野、横滑、そして私による催しの会場は、最終的に美学校となった。あちらこちらを探しての結果ながら、初めから運命として定められていたのかもしれない。
『花とやもり 写真〈フォトグラム〉に夢見る』。それが、四人による表現のタイトルである。テーマでもある。なぜ、やもりか−−。
 どこかの時点で、私は〈花の三部作〉を詠もうと決めていた。『花の記憶』『死の花』『祝いの花』と続くもので、特に『花の記憶』は、私が上野雄次と共同作業をするようになった記念の曲である。第一作を書いた時点では予想していなかったが、結局〈花の三部作〉は、作曲家・橘川琢の筆により、五年がかりで音楽作品になった。その三作目、『祝いの花』にやもりが登場する。やもりに自分を重ね、詩を詠み、動きたいと思った。

画像12)は、『花とやもり』本番で完成したフォトグラム全5点のうちNo.3

[花とやもり覚書.11]
 文字通りに蒸し風呂と化した美学校の教室。狭く暑い場所にすし詰めとなり、息をするのが苦しい。観客には迷惑をかけた。私は全身から汗が間断なく流れ落ち、個体というより軟体、液体になった気分だった。横滑の身体をしっかり摑むことができずに取り逃がし、それは自分のからだを摑んでも同じだった。
 踊り手の横滑が裸になることは当然だが、詩唱者まで裸になる必要はあったのか。そのような声が聞こえたが、『花とやもり』の起こりを振り返った時、私がモデルになって、という発想を出発点とする以上、そうするのは当然だった。もちろん、私が出演者に徹し、演出家が別にいれば、歴史を覆して私を陰の発声体にしたかもしれない。そこで再び、だが−−、『ama』『ikaros』とは異なる、男女をモティーフにしたフォトグラムを撮るためには、やはり詩唱者も裸になる必要があったのである。男女を結びつけ、力を注ぐために、花もまた必要だった。
 密室で、秘めやかに作られるフォトグラムも、あってよい。私たちもそうするつもりだった。しかし、その場を、あらゆる意味で過酷な場を共有する人々を得たことは、やはり他にない、かけがえのないことだった。観客の方々には深く感謝をする。横滑が何かの折りに口にした「奇跡」が、確かに、2011年8月26日(金)に起こった。台風が見舞い、雨と風を美学校に叩きつけたことも、偶然とは考えられない。その後、何度訪れても、教師と生徒が集う目の前の教室に、“花とやもり”が現われたとは思えないのである。
《2012年4月11日wed.記》

画像12)は、『花とやもり』本番で完成したフォトグラム全5点のうちNo.4

‎[花とやもり覚書]について

[1]から[11]の文章に添えた画像は、[8]を除いて、すべて西村陽一郎の撮影による。
当日のチラシ表記は、以下のとおり。

「舞踏 横滑ナナ」(画像1,6,7,9,10,11のモデル)
「花いけ 上野雄次」(画像1,6,7,9,10,11の花)
「詩唱 木部与巴仁」
「写真〈フォトグラム〉 西村陽一郎」

本来、もっと早く書かなければいけないものだったが、諸般の事情で、8か月後の執筆となった。お読みいただければ明らかだが、覚書は、『花とやもり』の準備が本格化するところで終っている。準備は本番の舞台に向けられるもので、結果は何もかもが本番にある。観てもらえればそれでいい。しかし、準備段階というのは、必ずしも本番を想定するものではなく(どの方向に向かうかまだわからない)、こうして記録されない限り、消えてしまいかねない。当事者にしかわからないことがほとんどだ。あえて書き残そうと思った理由はここにある。
本番は、映像として記録されている。撮影者には不利な環境であったといい、必ずしも鮮明な画像ではないかもしれないが、いずれ公開できればよい。また四人の表現者にとって、『花とやもり』を通過することで何らかの変化があったなら、企画した者としてうれしい。意識するにせよ無意識のままにせよ、変化はあるはずだ。その上で、『花とやもり2』が、形は変えても生まれればよいと思っている。

画像12)は、『花とやもり』本番で完成したフォトグラム全5点のうちNo.5

画像13)は、『花とやもり』チケット表面。(写真;西村陽一郎、モデル;横滑ナナ、花;上野雄次)

2012年1月1日日曜日

2012年の始まり。今年初めての詩を書こうとiPadに向かっています。なかなか書けません。「詩の通信VI」購読者を募集中。ただいま3名(有料です。1号分を120円切手で送るくらいの値段です。)。3名はありがたい方々ですが、増えれば気持ちも高まるというもの。よろしくお願いします。

2011年8月2日火曜日

花とやもり 写真〈フォトグラム〉に夢見る

横滑ナナ 舞踏
上野雄次 花いけ
木部与巴仁 詩唱
西村陽一郎 写真〈フォトグラム〉

会場:美學校
東京都千代田区神田神保町2-20第2富士ビル3F
2011年8月26日(Fri.)19時半開演(19時15分開場)
予約・前売2000円 当日2500円 学生1000円
予約・問合 070-5563-3480(木部)
*協力;美學校/大森政秀

「花とやもり」ができるまで

人の形をフォトグラムで撮る。それに花の形が加えられる。「花とやもり」は、美學校が主催する2011年4月の催しをきっかけに発想された。文房堂ギャラリーで行なわれた「松蔭浩之×西村陽一郎『写真』」展に、西村のフォトグラム2点、「海士」と「ikaros」が出品された。特に「ikaros」を見て、落下する人と写りこんだ鳥の羽が、もしも花ならどうだろうか、と考えた。脳裡を走ったのは、花道家、上野雄次の姿である。上野のドラマチックな花いけは、瞬間をとらえる写真表現にふさわしい。モデルは男性にして木部がつとめる。「海士」も「ikaros」も、女性だからだ。フォトグラム、花いけ、男性の形。三者のコラボレーションによるスタジオ作品として相談を始めたが、すぐに、これは密室作業ではなくライヴこそふさわしいと結論づく。さらに西村からモデルを男女にできないかと提案があり、それならば人の形を創造するダンサーがよい、女性舞踏手を探すことになった。そうして現われたのが、横滑ナナである。四者のライヴ・パフォーマンスはこうして生まれた。なお、木部によって詩唱(朗読)される詩は、『花の記憶』『死の花』『祝いの花』である。美學校と、舞踏家・大森政秀氏のご協力に感謝します。〈K〉

フォトグラムとは
一般に、フォトグラムとは、カメラやレンズを使用せず、印画紙上に直接物体を置いて光を当て、その時にできた影を定着させた画のこと、またはその技法をいいます。フォトグラムのフォトは「光」、グラムは「書かれたもの」を意味します。子供のころに遊んだ「日光写真」や「影絵」を思い出してもらえればいいでしょう。ただ実際には、写真用に作られた感光性の非常に高い印画紙やフィルムなどを使い、露光後には現像作業もしなければならないので、暗室での制作になります。カメラを使う写真は外に出て-光の中に小さな闇を持ちこんで-撮りますが、フォトグラムは内に入って-闇に光を持ちこんで-撮る面白さがあります。それは、いわばカメラの中に入るような行為でもあります。モノクロ写真の感光材料は、光を当てて現像すると黒く変化する性質を持っています。その性質には光の量が多いと黒が濃く、少ないと薄くなる法則があるため、物が光を干渉(反射、吸収、透過、遮蔽など)し、感光材上に落ちる光と影の中に微妙な明暗の差が生じると、それがそのまま白と黒の間を繋ぐ豊かな階調に置き換えられます。ただ、明るい所が黒く(暗く)、暗い所が白く(明るく)なるわけですから、できあがりの画は実際とは明暗が逆転したもの(ネガ)になります。フォトグラムはその光学、光化学的な原理をシンプルに利用した「光の画」であり、最も純粋な写真的現象であるといえます。(N)

2010年10月15日金曜日

上野雄次氏、「はないけ教室」

10月15日(金)・16日(土)に開催される「はないけ教室」のお知らせが、上野雄次さんから届きました。以下、メールを引用します。

世田谷の深沢にあります
JikonkaTOKYOでの
「はないけ教室」の日程です。

●日時
15日金、16日土

毎月第3金・土曜
13:00~/16:00~

●場所
JikonkaTOKYO
世田谷区深沢7-15-6
http://jikonka.com/

●受講料
1回:5000円(花代込み)

●申込み先
jikonka-tokyo@dg8.so-net.ne.jp
03-6809-7475

ug..........ueno@docomo.ne.jp

●上野雄次HP
http://ugueno.com/

少しご興味ある方や
遊びに行ってみようかなという方もお気軽に見学にいらして下さい。

お知り合いの方ではないけに興味がある方がいらしたらお知らせ頂ければ幸いです。

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神宮前メコプシスでの
「はないけ教室」のお詫びとお知らせです。

残念ながら、暫くの間お休みさせていただくことに成りました。
今のところ再開のめどはついておりません。
お付き合い頂きました皆様急なお知らせになってしまって誠に申しわけありません、そしてありがとうございました、心より感謝申し上げます。

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2010年10月6日水曜日

「花魂 HANADAMA」最終日の断片.3


細かくはまた書きますが、これで断片映像は以上です。少しずつ、文章を更新して行きます。
ただ、基本的には、これで「花魂 HANADAMA」ブログは終了になります。
記録として、残そうと思います。もし、ご覧になられた方がおられましたら、ご感想やご質問などいただけると幸いです。

<補遺10.8>
どの回も心に残ります。内容が違いましたから。-共通点はあって、それは西行の「ねかわくは 花のしたにて 春死なん そのきさらきの もちつきのころ」を詠み続けたこと-しかし五日目の、ヤマビルの回は、私がこのブログでも、当初より執着を持っていたモティーフを表現しただけに、思い入れ深いものがあります。これは、私の詩唱の、レパートリーにします。しろといわれれば、どこででもできるようにしておきたいと思います。

〈補遺10.10〉
五日目、レースのワンピースをまとい、椅子を相手に詩唱しました。かつて、初めてビデオ作品を作った時、誰もいない部屋に、たくさんの、誰も座っていない椅子だけがある映像を撮りました。椅子というものに、ひかれるようです。

〈補遺10.11〉
早くも、「花魂 HANADAMA」最終日から一週間が経ちました。あれは何だったのだろうと思います。しかし、トロッタ12の準備をし、「花魂」期間中に書けなかって原稿を書いていて、きちんとした反省ができないままでいます。

「花魂 HANADAMA」最終日の断片.2




最終日、三つめの映像です。
そして、四つめの映像です。
最終日だから、五つもアップしたというだけではなく、形として変化が多かったのだと思います。
先程、最終日は反省点が多かったと書きましたが、自分としてできることはしました。しかし、もっと他にできることがあったのではないか。他のことは、私らしくない、普段の私ならしそうにない表現方法があったのではないかというような意味です。