花魂 HANADAMA

花魂 HANADAMA
花とやもり チラシ

2010年10月15日金曜日

上野雄次氏、「はないけ教室」

10月15日(金)・16日(土)に開催される「はないけ教室」のお知らせが、上野雄次さんから届きました。以下、メールを引用します。

世田谷の深沢にあります
JikonkaTOKYOでの
「はないけ教室」の日程です。

●日時
15日金、16日土

毎月第3金・土曜
13:00~/16:00~

●場所
JikonkaTOKYO
世田谷区深沢7-15-6
http://jikonka.com/

●受講料
1回:5000円(花代込み)

●申込み先
jikonka-tokyo@dg8.so-net.ne.jp
03-6809-7475

ug..........ueno@docomo.ne.jp

●上野雄次HP
http://ugueno.com/

少しご興味ある方や
遊びに行ってみようかなという方もお気軽に見学にいらして下さい。

お知り合いの方ではないけに興味がある方がいらしたらお知らせ頂ければ幸いです。

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神宮前メコプシスでの
「はないけ教室」のお詫びとお知らせです。

残念ながら、暫くの間お休みさせていただくことに成りました。
今のところ再開のめどはついておりません。
お付き合い頂きました皆様急なお知らせになってしまって誠に申しわけありません、そしてありがとうございました、心より感謝申し上げます。

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2010年10月6日水曜日

「花魂 HANADAMA」最終日の断片.3


細かくはまた書きますが、これで断片映像は以上です。少しずつ、文章を更新して行きます。
ただ、基本的には、これで「花魂 HANADAMA」ブログは終了になります。
記録として、残そうと思います。もし、ご覧になられた方がおられましたら、ご感想やご質問などいただけると幸いです。

<補遺10.8>
どの回も心に残ります。内容が違いましたから。-共通点はあって、それは西行の「ねかわくは 花のしたにて 春死なん そのきさらきの もちつきのころ」を詠み続けたこと-しかし五日目の、ヤマビルの回は、私がこのブログでも、当初より執着を持っていたモティーフを表現しただけに、思い入れ深いものがあります。これは、私の詩唱の、レパートリーにします。しろといわれれば、どこででもできるようにしておきたいと思います。

〈補遺10.10〉
五日目、レースのワンピースをまとい、椅子を相手に詩唱しました。かつて、初めてビデオ作品を作った時、誰もいない部屋に、たくさんの、誰も座っていない椅子だけがある映像を撮りました。椅子というものに、ひかれるようです。

〈補遺10.11〉
早くも、「花魂 HANADAMA」最終日から一週間が経ちました。あれは何だったのだろうと思います。しかし、トロッタ12の準備をし、「花魂」期間中に書けなかって原稿を書いていて、きちんとした反省ができないままでいます。

「花魂 HANADAMA」最終日の断片.2




最終日、三つめの映像です。
そして、四つめの映像です。
最終日だから、五つもアップしたというだけではなく、形として変化が多かったのだと思います。
先程、最終日は反省点が多かったと書きましたが、自分としてできることはしました。しかし、もっと他にできることがあったのではないか。他のことは、私らしくない、普段の私ならしそうにない表現方法があったのではないかというような意味です。

「花魂 HANADAMA」最終目の断片




たいへん遅くなりましたが、「花魂 HANADAMA」六日目の断片映像をご覧いただきます。六日目は、私としては、たいへんに反省の多い回となりました。そして上野雄次さんの物理的な力が、最も発揮された回でした。
うれしかったことは、花占いを選んでくれたピアニストの森川あづささんに加え、しばしば上野さんとコラボレーションをしている俳人の生野毅さんが、十句を寄せてくれたことです。しかし、なかなか覚えられまぜんでした。間違えています。正確な句を掲げておきます。

あかりとり受苦とは一羽か一輪か
しかじかの夜叉の剥落白木蓮
薔薇の葉の屈折率で千秋楽
母の息また別の母の息寒椿
咲いている摘まれるまでは咲いている
藤棚は大病院の影を欠き
傾斜地は模造鈴蘭燃えゆくまで
石楠花と初潮分かたぬ昼の道
花覗く子まずは漆に似て
夜桜投げる果て誰が静脈ぞ

二つ目の映像は、私が手にした天井の蓮を取って詩唱しているところ、上野さんが横合いから取って、生けようとする場面です。
コラボレーションとは何か? 相手を感じるとは何か? アンサンブルとは? 即興とは? 多くのことを考えました。私には私の考えがあります。しかし、それが宙に浮くこともあるのだと思いました。浮いた考えをどうするかが問題です。
ご覧いただいてわかるように、私たちを取り巻く、たくさんのお客様がお越しになりました。ありがたいことです。

2010年10月5日火曜日

「花魂 HANADAMA」が終わりました

昨夜を持ちまして、「花魂 HANADAMA」が終了しました。六日間、すべて内容の異なるライヴ・パフォーマンスでした。
六日目の断片映像は、後でアップします。
すべてを終えて、さまざまな反省点があります。それは、否定的な意味ではなく、即興詩唱者としての私を見つめる、ということです。

これから練習、いや、私的な本番をしてきます。
五日目の回が、きれいにまとまり過ぎたと書きました。五日目と同じテーマで、何ができるか、試します。それを、私のレパートリーにしようと思います。即興なので、詩唱する細部は異なりますが、同じテーマを再表現することができます。
「花魂」の記憶が身体にあるうちに、-私としては七日目といってもかまいません-本番をしてきます。

2010年10月4日月曜日

「花魂 HANADAMA」五日目の断片.2

似たような映像とはいえますが、五日目の断片映像をもう一点、掲げます。
旅の僧と妖しい女が市ヶ谷の土手で出会うという、その点だけを決めて臨みました。僧はまた旅に出なければいけませんので、何とかして男と女を別れさせる必要があります。その手段を考えながら詩唱しました。(考えていたので、その分、動きに影響が出たかもしれません。おそらく出ました)
大きな反省があります。それを反省するということ自体を反省して、これを書きます。
即興なのに、あまりにもきれいなストーリーにまとまり過ぎたのではないか? と思いました。もっと支離滅裂でもよかったのでは?
今回の「花魂」で、約1時間、ストーリーを語り続けたのは初めてです。他の日は、寄せられた和歌や詩を詠んでいましたから、それに頼ればよかった側面があります。しかし今日は、もう寄せられた詩や文章はなく、すでに詠んだものを詠んでもいいとはいえ、私の中で、このブログを書き始めた時からの懸案であった、ヤマビルのストーリーを詠みたい気持ちが湧いてきました。となると、即興詩唱で詠まなければいけません。1時間も語り続けられるのかな? と思いました。しかも、書こうとして書けなかった詩を。めちゃくちゃになって恥をさらすかもしれないという思いがありました。
ところが、むちゃくちゃになりませんでした。僧は女に抱かれるうち、ヤマビルにされそうになります。市ヶ谷にいるヤマビルは、全部、女が姿を変えた、もとの人間なのだそうです。これらは詠みながら作った設定です。ヤマビルにされたのでは、旅が終わってしまいます。何とかして、旅にやらなければなりません。男は逃げ出そうとして女と格闘し(その格闘は、男女の交わりだったかもしれません)、倒れ付した女を見下ろして、やはり死ねなかったといって、泣きながら去って行きます。(やはり格闘は交わりかもしれず、男の魅力に触れて、女は彼を、ヤマビルにしなかったのかもしれません。事実、『高野聖』は、他の庶民は動物に変えたのに、僧は変えずに旅立たせました。一応、彼の清らかな心にうたれて、という説明があります。本当にそうかどうかはわかりません)
小説のように細部のストーリーに作り込みはありませんが、だいたいは納得できる感じです。私としては、ストーリーが成立していると思います。しかし、それでよかったのかどうか。格闘の場面で、上野さんがどこにいて何をしているのか、私は椅子を背後から抱いて背もたれに顔をうずめているのでよくわからず、かつ、昨夜はお客様がいっぱいだったので、ぶつかってはいけないと思い、さらに、ボッサで借りた椅子を使ったので壊してはいけないとも思い(昼間は、古道具屋があれば買って来ようかとも思っていました)、いろいろな制約がありました。椅子と、もっと濃厚にからんでもよかったかと思います。椅子を相手に交わりを表現するなど、私が観客なら見てみたいと思います。ごろごろ転げ回るところも、もっと派手でよかったのでは? しかし、できませんでした。
もちろん、私には不足でも、お客様には、あれでじゅうぶんだったかもしれません。とかく、やり過ぎると、それは自己満足であり、お客様には過剰と映りがちですので。自分には不足くらいでいいのかもしれません。演出家のもと、練習して所作を決めれば、そのへんの見極めがついたのでしょうが、即興なので、万事、手探りで進めなければなりませんでした。
きれいにまとまって不満をいうのはおかしいのですが、より大きなスケールを求めてのことです。今夜、最終回の公演で、決着させたいと思います。

「花魂 HANADAMA」五日目の断片

「花魂 HANADAMA」五日目の断片映像です。お恥ずかしいながら、私のビデオを回すのを忘れました。思い出した時はすでに遅く、私は椅子を背後から抱いて、床にころがっていました。そこで、上野雄次さんの記録映像を拝借しました。撮影は、李江嵐さんです。ありがとうございました。いつもの私の映像は固定なので、違った視点から撮られているのが興味深く映ります。
内容は即興ですが、題材は、泉鏡花の『高野聖』です。冒頭に現われるヤマビルを登場させ、それがJR市ヶ谷駅のそばの土手にいるので、現在と過去を、ヤマビルで結びつけました。旅の僧が、『高野聖』中の、妖しい女に会います。レースのワンピースを着た私は、その女です。旅の僧が、椅子です。女が後ろから僧を抱える場面は、忘れがたいもので、今回、生かしました。
「花魂」では初日に、西行の「ねかわくは 花のもとにて春死なん そのきさらきの もちつきのころ」を詠み、これが一貫したテーマになりました。その西行が、死のうとして死ねないまま、21世紀の現代まで生きて、旅をしています。そして谷中ボッサにも来たということ。市ヶ谷の土手も歩き、ヤマビル注意の看板を見たと思います。妖しい女に会うのは高野聖ですが、鏡花が書いた『高野聖』が、死ねない西行ではないと、誰がいえるでしょう。西行だったかもしれません。西行が、妖しい女に背後から抱かれなかったとはいえないのです。
五日目は、非常にエロティックな内容になりました。しかし、ためらいはありません。ああ、本当は、女に背後から抱かれた僧に、花の中にいるようだという、大切な思いを語らせるべきでした。『高野聖』に忠実に行うなら、それをすべきでした。流れの中で、その言葉が出てきませんでした。即興であり、『高野聖』の再現ではないのですから、失敗とはいえません。しかし、心残りです。明日、詠みましょうか。つまり、花はエロティックなものだということを、いいたかったということです。

2010年10月3日日曜日

「花魂 HANADAMA」四日目の断片

昨日は、初めて上野雄次さんと一緒に舞台に上がりました。これまでは、先に上野さんが入って、生けている花を私が目にする、というところから始めていたのです。
一つ目は、生まれて初めてというオルガンを、上野さんが弾きました。楽器は、調度品として、ボッサに置かれているものです。ここにあるものは使いたい、という気持ちだったそうです。その傍らで、私は全身を土色に塗っています。思い入れとしては、「ねかはくは花のもとにて春死なん」で、土にまみれた西行法師、ということです。「泥で顔を洗うような人生を送ってきたから」という即興詩の、身体表現でもあります。
二つ目は、私が木の枝をくわえて横たわり、それを含めて、上野さんが花いけを始めるところです。くわえた枝を花鋏で切るところも映っています。当初、私も花のひとつになりたい、と思っていましたが、具体的に、その願いがかなった瞬間でした。この時に私が歌っているのは、宮﨑文香さんが寄せてくれた、工藤直子さんの詩「はな」です。メロディは即興です。歌詞がないので、何を歌っているかわかりませんが、私は、「はな」の詩文からメロディを作りました。
今夜は五日目が行われるわけですが、たいへん貴重な公演だと実感しています。誰かと一緒に舞台をつとめるというのは、普通は年に1回でしょう。終われば、また来年もということです。それを六日間続けているのですから、六年分を一度にしていることになります。毎年でなければ、十年分かもしれません。毎晩違う内容なのですから、そんな仮定も成り立つと思います。

2010年10月2日土曜日

「花魂 HANADAMA」三日目の断片

「花魂 HANADAMA」三日目の断片映像です。
一つ目は、私はドアの外にいて、扉を開閉しているだけです。何度目かに開けた時、西行の「ねかわくは 花のもとにて 春死なん」を、外で、節をつけて歌いました。実際は、「水をすくえば月は手にある、花をもてあそべば香りは衣に満ちる」も歌っています。その直後、扉が開くや、さっと飛び込んでいきました。
二つ目は、上野雄次さんが花いけをしている最中、岩崎美弥子さんの詩『夕刻の薔薇』を、マッチの明かりで詠みました。ご覧のとおり、火が燃えている間だけ詠む、という繰り返しです。おそらく暗くなるだろうと予想でき、岩崎さんの詩は、短時間で暗記できなかったので、詠もうと思い、暗い中で詠むなら、例えばペンライトで照らすようなことではなく、何らかの演出が必要だと思ったのです。
この後は、画面として暗くなるので掲げていませんが、上野さんが花いけを続け、私はうつぶせになったまま、歌い、詠みと、即興で言葉の表現を続けました。
全体に、詩唱というより演劇的であるという感想をいただきました。私は、演劇の尾を切りたいと思ってきましたが、そう思うのは私だけで、お客様は、決して否定的な意味で演劇的といっているのではありませんでした。結局、私の表現は、そこに向かうのかもしれません。
〈補〉
初日に、死ねずに今まで生きている西行が、谷中ボッサに行き着いた、という設定が生まれました。偶然ですが、大西ようこさんが送ってくださいました西行の歌、「ねかはくは花のもとにて春死なん」を詠む以上、何らかの西行についての設定が生まれるのは、必然であったかもしれません。
死ねずに生きているという設定は、能の小町物に通じるもので、すでに能に近いことをしているようです。谷中ボッサという、極度に狭い空間の特殊性もあります。それが、演劇的であるという評価を生んだとしても、何ら不思議ではありません。それならそれで、演劇的なる地点に足を定めてもいいかもしれません。
三日目の映像は、前半に終始していますので、暗くてもよいと思うなら、後半の断片も、一点ほど掲げたいと思います。

2010年10月1日金曜日

「花魂 HANADAMA」二日目の断片

ワンピースを着て登場しました。思い入れとしては、ボッサを訪れた女、です。その店の天井に、蓮の葉が見えた。そして語り出される、太宰治の『斜陽』。田中修一さんが、花の詩文として、寄せてくれました。女は、『斜陽』の人物です。
断片のひとつは、約30分経ったころ、天井から落ちて来た蓮の葉を私が垂直にくわえ、あえていうなら、人間生け花のようになって、くわえたまま『斜陽』の一節を詠んでいる場面です。
二つ目は、40分経つころでしょうか、仰向けになった私と、上野さんがどういうことをしたかわかる場面。ボッサじゅうに、赤い糸がはりめぐらされています。
『斜陽』の詩唱に加えて、初日に詠んだ、于良史『春山夜月』の「掬水月在手(水を掬すれば月 手に在り)弄花香満衣(花を弄すれば香は衣に満つ)」を即興で歌いました。歌詩は、「水をすくえば月は手にあり 花をもてあそべば香りは衣に満ちる」と、わかりやすい現代日本語にしました。最初の「手にあり」は「手にある」でもいいかもしれません。
歌は、甘くなりそうだったので、初日には歌いませんでした。初日に歌えればよかったのですが。
上野雄次さんの赤い糸を、たくさんの人に見ていただきたかったと思います。特に私の左足にからみましたが、あれで倒れたら、どうなったでしょうか。壁のレールにひっかけてあったので、レールが壊れてしまったかもしれません。動きながらそっと確かめて、その上で倒れればよかったかもしれません。糸の扱いも、倒れるだけでなく、自分からからんでいくとか、いろいろできたと思います。終わってみれば、反省があります。

2010年9月30日木曜日

「花魂 HANADAMA」初日の断片

「花魂 HANADAMA」初日の断片映像です。まず、開始23分が経ったころと、最後の場面、49分から上野さんが先に出て行くまでです。
全体に真っ暗で、明かりは、床の盛り土に隠された僅かなものしかありません。上野さんは、その電球の上に土をかけ続けました。立ち上る煙は、電球の明かりに土が熱せられてのものです。
私は、初めの場面では、西行の「ねかわくは 花のしたにて春死なん そのきさらきのもちつきのころ」を詠んでいるのですが、盛り土の中に顔をつっこんでいるため、映像からは、ほとんど聴こえません。ただ、前後では、はっきり詠んでいますから、会場の方にはご理解いただけたと思います。
また二つ目は、床に仰向けになった私が思い切り手を伸ばし、天井からぶら下がっている蓮の実にかすかに触れ、前に倒れます。ここも何をいっているのかわかりません。結果的に、死にたいのに死ねず、生きながら死んでいる、死にながら生きていると、西行が悟る場面となりました。天井の蓮と、彼の心境が不思議に重なった終幕です。倒れ伏した私は、やはり「ねかわくは 花のしたにて春死なん そのきさらきのもちつきのころ」とつぶやきました。
私はどうやら、「花のもとにて」と詠んだようです。『山家集』では「した」、『続古今和歌集』では「もと」となります。


2010年9月28日火曜日

ブログは終了します *9.28

明日から「花魂 HANADAMA」の本番です。
これまで御愛読ありがとうございました。
本日の「日々花いけ」は、思う所があり、写真は撮りましたが、アップを取りやめます。
本来、花を生けるのは上野雄次さんであり、私は生けるべきではありませんでした。
(これは私ひとりの考えとして書いています)
「花魂」についての私の考え、思いなどは、これまでの内容で、じゅうぶんに書いていると確信します。
もし、これまでの記述をお読みになりまして、ご興味を抱いてくださいましたら、谷中ボッサにお運びください。
宣伝になればいいと思い、書いてきたのでした。なっていないかもしれませんが、仮になっているとしたら、
宣伝のためにはじゅうぶん過ぎる量です。これ以上書くことはありません。
どのようなことができるのか、即興ですのでわかりませんが、できるだけ、これまでとは違った自分でいようと思います。
あいかわらずの木部与巴仁であれば、それは、お恥ずかしいことです。
本日以降、私は詩唱に専念します。

2010年9月27日月曜日

九度目の練習=本番 *9.27

これまで、練習をいう言葉を使ってきましたが、本番であったと言い換えます。
一度も、練習のつもりでは行ってきませんでした。すべて、本気で即興詩唱をしてきました。
うまくいった、いかないはあるでしょうが、それは本番でもあることなので、かまいません。
明日は、18時から、上野雄次さんが、谷中ボッサで、しつらいを行います。

日々花いけ.30 *9.27


遅れを取り戻そうとして、かえって生け急いでしまったようです。今日の分をと思い、生けましたが、今日の分は既に終わっていました。
ブログは訂正しましたが、今日、生けたのは事実なので、公開します。
花の落ちてしまった白萩の先を束ね、鮭の缶詰めを潰して作った隙間に挿しました。

私の花いけについては、いろいろ批判が加えられて当然だと思います。
花を生けるのは上野雄次さんなので、別に私がしなくてもいいという考えがあることでしょう。
しかし、これが私の行き方であり生き方なのだと、諦め、憤り、嘲りの感情とともに、そんな自分を見つめています。
趣味で生けるのなら、自由に生ければいいと思います。
また仕事とか表現にするのなら、それも自由に生ければいいと思います。
私の花いけは、生き方です。愚かな花でも、それが私です。

この花は、今日の分ですので、これを明日に回すなどということはしません。
「花魂 HANADAMA」の本番が、明後日になりました。
日々花いけは、明日で終わりにします。
明日以降、花を生けるのは上野雄次さんです。

日々花いけ.29 *9.27


ミントモスを水盤に置きました。
底には、イタリアンベリーの実を敷き詰めてあります。
どちらも、上野雄次さんの花いけ教室で求めた花材です。

日々花いけ.29 *9.26(9.27作)


藤袴を、枯れ葉に挿しました。
枯れ葉は、二度目の使用だと思いますが、枯れて落ちた姿に、味わいを感じます。
もちろん、咲き誇る花にも味わいはあり、それを感じないのは、私の感性が偏っているのか、乏しいのか。
好みはあるにせよ、それぞれの味わいを、感じたいと思います。

八度目の練習のこと *9.26

昨日、八度目の練習を行ないました。
テキストに、トロッタ12で初演される清道洋一さん作曲『イリュージョン illusion』のために書いた、同じ題の私の詩を用いました。曲には、清道さんが書いた詩も入っています。その全文を暗記して臨みました。詩は全て詠みますが、途中で順序を入れ替えたり、即興で話を作ってふくらませたり、いろいろと試みました。
暗記して、自在に作っていけば、しらけた感じは覚えませんでした。

2010年9月26日日曜日

七度目の練習のこと *9.26

去る9月24日、七度目の練習を行ないました。
この日に用いた歌は、『古今和歌集』の以下、三首でした。

白浪に秋のこのはの浮かべるを あまの流せる舟かとぞ見る 藤原興風

花みつゝ人まつ時は 白妙の袖かとのみぞあやまたれける 紀友則

み山よりおちくる水の色みてぞ 秋はかぎりと思ひしりぬる 藤原興風

自分の癖を見極めること。癖に振り回されてはいけない。癖を生かしつつ、その上を行くこと。
上とはどこ?
癖をコントロールするということか。

日々花いけ.28 *9.25(9.26記)


きりん草を立てました。
器には銀紙を張ってあります。
今思えば、銀紙は小手先だったかもしれません。
しかし、この時は、これがいいと思ったのです。

上野雄次さんが生けた花 *9.25(9.26記)

花いけ教室で、上野さんが生けた花です。器は、青木亮さんです。
写真がよくないのでわかりませんが、その場の率直な印象は、“秘めた花”。
前に、西川聡さんの器にダリヤを生けたのを見て、そこから『花の記憶』という詩が生まれました。
その時の花に共通した印象でした。

2010年9月25日土曜日

上野雄次さん花いけ教室 *9.25

千駄ヶ谷のメコノプシスで、上野雄次さんの花いけ教室がありました。私がいけた花のすべてです。

野葡萄とジニアです。


雲龍柳とイタリアンベリーです。


カラーとコスモスです。


アナベルです。

2010年9月24日金曜日

日々花いけ.27 *9.24


やはり雨上がりの拾いものです。
私には名前のわからない実は、いつか拾って部屋に置いてあったものです。
葉は、窓辺の軒で見つけました。

日々花いけ.26 *9.23(9.24作)


ガーベラを、朽ち木に挿しました。
雨が降った翌日は、地面に、さまざまな材料が落ちています。
この朽ち木も、頭上の木から降ってきたものです。

「詩の通信 V」第四号 *9.24

「花魂 HANADAMA」の練習の過程で、『新古今和歌集』に収められた、藤原家隆の歌に出会いました。
この歌をもとにして、詩を書きました。
「詩の通信 V」第四号掲載作品として発表されるものですが、「花魂」から生まれた作品と考え、ここに掲げます。

月の都 
木部与巴仁

ながめつつ思ふもさびし久かたの月の都の明けがたの空
藤原家隆(『新古今和歌集』)

(一)
月の都のライヴハウスで
女は詠(うた)う
銀色の花を持て
かすかな声で
この花をあげようと思った
あなたはいない
暗く空っぽの部屋に
ひとりぼっちの私がいると
月の都のライヴハウスは
人影なしに足音だけが響く
石畳の街にあった

(二)
月の都のライヴハウスで
男は聴く
裸の影あらわにした
女の詩(うた)を
やさしい声とやさしい肌に
心は溶ける
遠く地球を離れ
ただひとりやって来た
月の都のライヴハウスは
人影なしに足音だけが響く
石畳の街にあった



(間)
チラシを受け取ると
月の都行きの案内状だった
午前三時二十分
この駅前からバスは出る
半信半疑で申し込むと
当選したと電話がかかった
時計を見ると午前零時
窓の向こうに
月が浮かんでいた



(三)
月の都のライヴハウスで
女は詠った
黒い川が心に浮かぶ
重たい流れに
哀しいこの身をまかせよう
消えてしまいたい
思い出が私を苦しめる
生きていても仕方がないと
月の都のライヴハウスは
人影なしに足音だけが響く
石畳の街にあった

(四)
月の都のライヴハウスで
男は聴いた
目を閉じたまま
女たちを想いながら
私は罰を受けているだろう
ひどい男だったから
帰れそうにない
嘲りの笑みが浮かんで来る
月の都のライヴハウスは
人影なしに足音だけが響く
石畳の街にあった

(五)
月の都のライヴハウスで
女は詠(うた)う
楽しかった何もかも
今はないのだと
思い知った明け方の空
寂しさを怒りで殺しながら
あなたの声に
私は身をまかせているよと
月の都のライヴハウスは
人影なしに足音だけが響く
石畳の街にあった



(間)
復路のバスが
出発しようとしていた
乗客の姿はない
居場所のない者を
地球から月に運んでゆく
ただそれだけのバスだった
十五夜の月を仰ぐと
かすかに光る点が見える
それが月の都だ



(六)
月の都のライヴハウスで
男は聴いている
涙の酒などいらない
燃えてしまえ
誰も知らないこの街で
人知れず死ぬ
それが私の運命だと
思うたび男の心は安らいだ
月の都のライヴハウスは
人影なしに足音だけが響く
石畳の街にあった

2010年9月23日木曜日

秋の雨です *9.23

昨日は真夏の暑さでしたが、今日は一転して秋の雨となりました。
いろいろなことが思うように運ばず、情緒が不安定です。ずっと部屋にこもっていました。
できれば練習したかったのですが、しませんでした。
練習のための練習をしているだけだと、私の態度に批判が与えられたことがあります。
それは、私にとっては今さらの話で、中学生のころの、部活動での練習から、私にはそうした傾向がありました。
中学の校内マラソン大会の前日も、不安だったから、夜になって走りに出たものです。
そういう性格なら、練習すればいいでしょう。
それに今の私は、練習せずに皆さんの前に出るほど、たいした能力を持っているわけではありません。練習しなければ。

とにかく、「花魂 HANADAMA」で何をするか、だいたいの方針は決まっています。
歌人、穂村弘氏の『短歌の友人』を読んで、私の態度は決まりました。
怒りが、私の態度を決めました。
誰でもそうですが、喜怒哀楽が、私を支えています。
喜怒哀楽に生かされています。生かしてもらおうと思っています。

日々花いけ.25 *9.22(9.23作)


野鶏頭の花を土に挿しました。
土は、100%天然有機素材によって作られたものです。中国の四川泥炭がもとになっていて、保水、保肥、排水に優れているそうです。新宿西口で展示会をしていて、そこにあったサンプルをもらってきました。

2010年9月22日水曜日

上野雄次さんからのお知らせ *9.22

上野雄次さんから、一斉配信で、催しの案内が届きましたので、アレンジして掲げます。


[はないけ教室]のお知らせです

神宮前メコプシスでの「はないけ教室」の日程です。
23日(木)秋分の日
25日(土)

第1回:12:00から14:00
第2回:15:00から17:00
第3回:18:00から20:00
(各回:5名程度)

■料金
各回とも5,000円(花代込)
ビギナー3,000円(花代込)
※ 月謝制ではありません
※ 一回限りの体験教室も3,000円(花代込み)で募集してます

■会場
会場は神宮前にあります
「メコノプシス」 http://www.o-meconopsis.com/
詳細は、上野さんのサイトで。
http://ugueno.com/

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イベントのお知らせです
「上野雄次×花がたり」花いけ*器*映像*語り

見えてくる花のかたち、聞こえてくる花の声
花道家/上野雄次が記録映像とともに語ります

●日時 2010年9月26日14:00~
●料金 2000円(1ドリンク込)
●第4回ゲスト 中里和人(写真家) www.nakazato.info/
●上映ライブ映像
「はないけ路地裏幻想」
(2009.11.7撮影,このライブは八広のアトリエSAUCE Factoryを拠点に写真家の中里和人氏を中心に行われた「向島Nightseeing&まち見せ路上幻燈会」と名付けられた写真展のイベントとして行われたもので、中里氏とのコラボレーションパフォーマンスです)
撮影:古川久記

●場所
器とCafe ひねもすのたり
JR阿佐ヶ谷駅徒歩1分
杉並区阿佐ヶ谷北1-3-6 2F
tel.03-3330-8807
http://ひねもすのたり.com

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イベント&ライブパフォーマンスのお知らせです

「花魂 HANADAMA」
花いけ と 詩唱 上野雄次×木部与巴仁

花と詩のコラボレーション花道家・上野雄次による谷中ボッサの空間展示/しつらい。
詩人・木部与巴仁による、花のありようを受けての即興詩唱。
連日の展示と、定時からの即興パフォーマンスを披露致します。

●日時
2010年9月29日(水)~10月4日(月)
展示:11:00~19:00
パフォーマンス:19:00~20:00(会期中全日)

●入場料金
〇展示(花のしつらい):1ドリンク
〇パフォーマンス:1000円+1ドリンク

●会場
cafe 谷中ボッサ
台東区谷中6ー1ー27
tel.03-3823-5952
www.yanakabossa.jp/
yanakabossa@r9.dion.ne.jp

2010年9月21日火曜日

ボッサでソロを *9.21

昨日、ボッサで打ち合わせでした。その時、12月に、私のソロ・ライヴをさせていただくことが決まりました。
おそらく、11日(土)か12日(日)です。
まだ詳細は決まりませんが、後日、お知らせします。
これまで、トロッタのように、誰かとすることを大事なことだと思ってきましたが、ひとりで立ってみなければわからないことがあります。
ひとりで立って、確信を得て、なお誰かとするのなら、私はより強くなれると思います。
強くなるために、一時的に、後退しなければならないことがあることでしょう。

日々花いけ.24 *9.21


ピンクッションという名前の花だといわれて買いましたが、針山といわれた方がしっくりきます。
針山花とでもいえばいいでしょうか。
支えにしているのは、家の前に落ちていたコンクリートの破片です。
特に、人工的に見える面を手前にしました。
コンクリート片と花を組み合わせたかったのです。

上野雄次さんと打ち合わせ *9.20

千駄木の古書ほうろうと、日暮里の古書店・信天翁(あほうどり)にチラシを置かせていただきました。
その後、14時30分、谷中ボッサにて上野雄次さんと打ち合わせ。

搬入は、本番前日の18時から、3時間くらいの予定で行うことにしました。
とにかく、打ち合わせはいらないということ。当初、できればと思っていた予行演習も、最終的には行いません。
お互いがお互いに、例えばですが接触するようなことも、それが必然であるなら、すればいいということになりました。(身体の接触というより、していることへの接触、でしょうか)接触して、上野さんの花が壊れれば、そこからまた作ればいい。私の詩唱も、彼から何かの働きかけがあり、例えば物語が途切れるなら、そこからまた始めればよい、ということです。

上野さんに、私の、ボッサ観を問われたので、次のように答えました。
a) 何もないところから何かが始まる場所。何もないところから声が生まれ、言葉が生まれ、音楽が生まれる場所。
b) オープンしたころはもっと何もない印象だった。壁面展示もなかった。少なくとも初めて訪れた時は、真っ白な壁だった。ライヴもなかった。ボサノヴァのアルバムについて話をしたことが忘れられない。
c) ピエール・バルーがボサノヴァの源流を探るテーマで撮ったドキュメント映画『サラヴァ』。そこで、いろいろな演奏者がボサノヴァについて語り、演奏する。彼らが声を発し、演奏をすれば、そこに音楽が生まれる。どこでもいい。だから、「声と音の会」の第一回ゲストはピエール・バルーを招いた。
d) [上野さんは、ブラジルの印象を生かして、しつらいをしてみたいといいます。彼にとってのブラジルは混沌とした印象の土地]ピエールのビデオにも、混沌とした街の風景が出て来ます。そこにいる音楽の名人の話など。名人とはいえ、商業とはまったく無縁の人で、それでいいのです。私がいう、何かが生まれる何もないところというのは、いろいろなものがあり過ぎて混沌としていることと、同義ではないにせよ、似ています。

上野さんは、毎日、仕事をして、夜になって時間になれば来て、パフォーマンスをするといいます。私もその姿勢で行くでしょう。7時開演ですから、6時ごろに会場入りします。
私は、日録のようなものを、日々、作って配ることにしました。
夜になって、須弥山の花を生けました。

2010年9月20日月曜日

日々花いけ.23 *9.20


食器をきれいにする必要があり、重曹を入れておいたら、混じっていた落ち葉が、漂白されてしまいました。
これを生かそうとして、私の思い入れとしては、須弥山に芽吹いた一枚の葉、といった風景を作ってみました。

日々花いけ.22 *9.19(9.20作)


塩を盛り上げ、野薔薇を挿しました。
月に木が生えていたら、こんな風景だろうと思って生けました。

六度目の練習 *9.19

朝9時、高田馬場駅のGATEWAYスタジオへ。六度目の練習です。

このいただきに来て萩の花ざかり

この山頭火の句から出発する。(*途中で思ったが、仮にこの句を使った場合、上野雄次氏の花に萩がないといけないだろうか?)今日の練習のテーマは、物語にしないで、短い詩なり歌なりを次々に詠んでいく、というものだったが、やはり物語になってしまった。
本当の、いただきで、萩の花を見ている女と、その女を見ている男。ふたりは五年間、同棲していたが、ふたりは決して、お互いを見ていなかった。同じもの、例えば萩の花を見ていながら、別々のものを見ていた。別れざるを得なかった。女はある朝、男に黙って出ていったのだ。しかし、それから20年、男も女も、かつて別れたふたりのことを思っている。抱いてほしいと思いながら抱いてもらえず、ひとり、暮らしている。まず男が語り、女が語り、という繰り返し。途中で、短い句らしきものをいくつか詠み、当初の目的に少しでも添わせようとした。
話自体は悪くないが、男と、女の物語。こればかりである。少しは違うものができないのか?
やはり、手をつき、腰をおろし、座り、という態勢になった。これがいちばん語りやすい。ただ、これが詩唱といった場合の、お客様の期待する、“詩”を唱うものであるかどうか。ぜひ、次回は詩を詠み続けたい。

反省点。
a-1) ある作曲家のCDを何枚か持って行く予定で準備もしていたのだが、完全に忘れた。音楽に反応しようと思っていたのだが。それを実行していたら、物語にならなかったかもしれない。ただ逆に、反応しただけという憾みが生じたかもしれない。どちらにしても、即興には、反応という性質がある。いや、即興でなくとも同じか。
a-2) 完全に立って、という姿勢でまだ行っていない。立って詩唱するとどうなるか? これも次回の課題にしよう。
a-3) 意識は、前だけに向かっている。集中は、もちろん必要だ。だから眼を閉じて詠んでいる。ただ6度目は、山頭火の句を折りに触れて繰り返したため、それがスタイルになり、忘れてはいけないという意識が先に立ち、思い出そうとしたため、時々、集中が切れた。もっと大胆に、間違えてもよかったか。変奏と思えば、山頭火と違う言葉を口にしてもいいはずだ。
a-4) あいかわらず、静かな詠み方になる。大声で、とか素早く、ということはできない。それがいいかどうかは別として、試してみたいことである。
a-5) 物語を象徴させるようの即興の俳句らしきものをないくつか詠んだが、あれはもっと続けるべきである。倍はあってもよかった。ほどほどのところで止めるのはよくない。出て来なさそうだから止めたのだが、それでもなお詠もうとする姿を、観客は見たいかもしれない。
a-6) 依然として、上野氏とのからみは、どうしていいかわからない。どいう状況が起るかもわからない。一度でもしてみればわかるだろうが。何が起こってもいいように、気配を感じられる身体にしておきたい。物語を紡ぎ出そうとするあまり、気配を感じていなかったのではないか。GATEWAYスタジオでしている意味が、あまりなかった? どこでしたも同じだったかもしれない。
a-7) もっと、大胆さと繊細さの間を行き来する、ダイナミズムがほしい。今のままでも悪くない。しかし、悪くないなどという評価は、決していいものではない。いっそ、むちゃくちゃだった、という方がいい。



練習後、Ben's Cafeに、トロッタ12のチラシと一緒に、「花魂 HANADAMA」のチラシも置かせてもらう。



花ばさみの切れが悪くなったので、砥石で研いだ。分解できるかと思って試したが、無理だった。切れは元通りになる。



準備期間の三分の二が過ぎた。この間、考え方は進んだと思う。実際の練習も重ねてきた。もっと練習したいと思う。しかし、詩作は進んでいない。“ヤマビル、つまり『花骸--はなむくろ--』新篇ができない。途中から、即興でよい、「花魂 HANADAMA」については即興詩の方がよいと思ってしまったから。詩を書く情熱が消えた。
「日々花いけ」のすべてに、即興で短い詩を詠もう。本番前日、とかに? それは、本番で詠む詠まないにかかわらず、私のつとめのように思われる。

2010年9月19日日曜日

日々花いけ.21 *9.18(9.19作)


五色唐辛子の実を、茄子に突き刺しました。
夜に撮影しましたが、部屋に蛍光灯しかないので、照明がたいへんに難しく、思うような写真になりません。

五度目の練習の反省 *9.18(9.19記)

午前7時より喫茶店で仕事。8時過ぎ、清道洋一さんと会う。私のMacintoshを貸して、彼が自作の曲を再生、保存する件。
新宿へ行き、買い物をする。喫茶店へ。
サイトに出ているヤマビルの記事に、よみふけってしまう。
五度目の練習をした反省点を整理する。先の記述と重複するが、まとめておく。

a) 詩唱のテーマは、1時間、何のテキストもなしに何を語れるか、どこまでできるか。
これまでの練習では、できは悪くても、即興の方が緊張感は高い。テキストがあると、聴いている方はわからないが、詠んでいる当人は緊張感が薄まってしまう。どうしても、ああ、用意したものを詠んでいるなという、対比の気持ちが生じるからか? トロッタのように、テキストや楽譜のみを前にしていると、決してそんなことはなく、即興的な詠みもできているのに。同じ舞台で、どちらも即興的な緊張感を作らなければならないということかもしれない。
b) 『新古今和歌集』の一首をもとにする。

ながめつつ思ふもさびし久かたの月の都の明けがたの空

思いがけない展開になった。月の都に行くカップルの話が、自然に生まれた。机の前でひねり出そうとしても、生まれて来ないものだと思う。即興の宿命だが、綱渡りだ。何も出て来なかったらどうするのか?
b-1) 駅前で、月の都行きバスのチラシをもらったのが、物語の始まり。抽選に当たって、月の都へ行く。電車にしようかと思ったが、『銀河鉄道の夜』の真似になるので、とっさに変更。
b-2) 寒い寒いと、同じ言葉を繰り返す。これをつなぎにする。寒いといって縮こまり、着物を頭からかぶり、すっと上半身を起こすと、月の都に着いている、という展開。休憩でもあり、共演者にも注意を向けてもらう方法になる。これは二回か三回、行った。
b-3)私は本当のことをいっているのか?(うわべだけでなく他人に対しているか、八方美人ではないか、本気で人に向かっているか、隠し事を他人にしていないか、私の言葉は本物なのか、本物の言葉で詩を書いているのか、etc...)という疑問が、カップルの話として物語に生かされた。疑問を、自分のこととしてまともに語っても、表現としては生(なま)過ぎて駄目である。
b-4) 月の都のライブハウスは、おもしろいと思った。上野雄次氏が相手の本番なら、月の都のギャラリーとか、月の花の展覧会場とか、そういうことになったかもしれない。ライブハウスで、即興の詩唱と即興のピアノによるライヴが行われている。「しろがねの花に頬ずりして」という、ライヴの詩を語り出してから、ライヴハウスという設定にしたのだと記憶している。先に詩があった。物語は後から生まれた。こういう行き方でよいと思う。
b-5) 月の都の寺もよかったと思いたい。月の都に行ったのだから、観光地を出そうと思った。頭に浮かんだのは、築地の本願寺であった。もっと詳細に描写してもよかった。神様の前であらわになる、男と女の、本当の気持ち、姿。ふたりは、もとの町に帰れるのか?
b-6) 月の都のカフェも、よかったのではないか? 自己満足ではなく。ここまで来て、ちょうど1時間。ついにふたりは、地上の街に戻れなかった。戻そうと思っていたのだが、もちろん、その方法は思いついていない。2時間詠めば、戻ったかもしれない。あるいは、今度は火星に行くとか。よく連続テレビドラマである手法だ。終わりのない旅をさせるのである。

c) 反省点。花が全篇をおおうことはなかった--「花魂」のための詩唱なのだから、もっと花を意識すべきだったか?--しかし、ライブハウスの場面に、花の詩を詠んでいる女を登場させた。物語の象徴的な場面にはなったと思う。

d) 1時間、語り続けることはできた。不可能ではないとわかった。詩的かどうかは別。詩唱になっているかどうかは別。しかし、詩的、詩唱ということは、私なりのスタイルがあるので、誰に何をいわれても問題ではない。次の練習では、物語ではない詩を意識したいと思う。

以下、気をつけたいこと。
e-1) 即興に馴れないこと。何かしていればそれで即興、表現になるなどとは安易に思いたくない。自分がこれまでに立ったことがない、ぎりぎりの淵で表現したい。
e-2) 前にした話を、もう一度するのはいいことか悪いことか。月の都の話など、たいへん魅力的である。次に話せばもっと洗練されて、よくなるかもしれない。しかし洗練されて、悪くなるかもしれない。月のその世界をもっと見たいと思う。見るためには、語るしかないだろう。(*これは重要。未知の世界を見たいから、作家は書くのである)ただ、前の物語があるから続きがあるので、お客様に知ってもらうなら、前の話を語らないとわからない。これは、なぞることだ。私が知りたいだけなら、ひとりで続きを語ればいい。いずれにせよ、このように、あれこれ思うこと自体が即興らしくない。何も考えずに語り出せばいいのかもしれない。
e-3) 身体を、もっと使ってもいいだろうか。立ってもいい。なぜ、しゃがんでいるのかという問題がある。しゃがんで、膝をつき、手をつくと、床から力をもらえる気がする。楽な気持ちにもなれる。正直、立つよりも、しゃがんだり、座っている方が、言葉が出てくる。今度は、立って、どこまでできるか、試してもいい。
e-4) 言葉は考えながら発しているので、すぐには出ない。より遅くはなっても、より速くはできない。となると何で変えるのかといえば、声の大小など。
e-5) その場の気配を、無理に感じようとするのではなく、自然に感じる、自然に聴く。気配とかけあいができないか。
e-6) のべつまくなしにしゃべるのではなく、上野氏の花を集中して見てもらう時間を作る。「寒い」のくだりなどで、これは、できていたと思う。
e-7) 落ち着いた中に、時々、感情が激する瞬間がある。往々にして、静かである。爆発できないか。静かな詩唱も激しい詩唱も、聴かせどころになる。物語にしない場合、どこまでできるか? しかし物語にしないと、初めから決めるのは即興ではない。物語になるなら、それでもいい。
e-8) 言葉は考えながら発しているので、すぐには出ない。より遅くはなっても、より速くはできない。となると何で変えるのかといえば、声の大小など。変化をつけて、お客様の想像力をかきたてたい。
e-9) 次回は、物語でなく展開してみたい。短い詩を、例えば1分のものを60篇、詠むというようなこと。

午後7時、新宿で待ち合わせ、徳島から上京の、小西昌幸さんと会う。小林淳さんも来る。小林さんが書いた『ゴジラの音楽』(作品社)の、出版記念の意味もある。
帰宅後、ギターの練習。
明朝の、練習スタジオを予約。9時から、高田馬場駅に近いGATEWAYにて。

日々花いけ.20 *9.17(9.19作)


デルフィニウムの白いつぼみを、石に添えて生けました。
青く咲いた花と、白いつぼみは、別の花のようです。
葉を生かしたにぎやかな感じも試みたのですが、やはり、シンプルな方に落ち着きました。

2010年9月18日土曜日

三日間のこと *9.15 - 9.17(9.18記)

以下、twitterに書いたことである。twitterから引用するのは変だと思うが、大きなことだったので、ここに書いて補足する。
一見、「花魂 HANADAMA」には関係のないことである。しかし、短歌、和歌ということには、「花魂」で何をするかを考える過程で行き着いている。だから、ここに書く。表現するとはどういうことか。私はどういうつもりで表現しているのか。それを短時間だがつきつめて考えるきっかけになった。



歌人のこと 9.15(*9.18記)

穂村弘氏の『短歌の友人』を、書評の参考に読んでいる。(*書評するのは彼のエッセイ集『もうおうちへかえりましょう』)ショックなことが書かれていた。「他ジャンルの人の短歌の〈読み〉については、定型観がどうとか〈読み〉の軸がどうとかいう以前に、『何かがわかっていない』『前提となる感覚が欠けている』という印象を持つことが多い」私もそうなのだろう。(*ここでまず思ったのは、他ジャンルの人にわかっていないということは、読者の〈読み〉を信じていないのか、ということ。それなら発表する必要などないし、本を買ってもらおうなどと思わないことだ)

穂村氏は、自作の歌(*第一歌集『シンジケート』)に対し、人間性をも否定されるほどの言葉を歌人から投げつけられたのだが、それは短歌というジャンルでは容易に起ることで、音楽や映画、小説などでは、そこまでの対峙はないのではと想像している。いや、同様の例はいくらでもある。(*穂村氏の想像力がその点に及ばないのが不思議だ。彼の考えの根本に、他ジャンルの人と自ジャンルの人という、完全な区分けがあるらしい)『短歌の友人』は、とにかくショックな本だ。(*他ジャンルとか自ジャンルとか、そういう区分けをする人がいることがショック。他人への想像力が、〈読み〉云々を含めて不足していることがショック)

穂村氏の歌人意識に驚く。彼は自分を歌人だと確信している。私はビデオ作家ではなかった、詩人だと他人は認めているか? 私は評論家ではなかった、私は小説家ではなかった、私はギタリストでも歌手でもない、詩唱者などと他人は認めているか?(*穂村氏の態度の前では、私は何でもない。それを思い知らされたことがショック。何者でもない私が、当面、「花魂 HANADAMA」をしようとしていることがショックである) 

私はライターだが多ジャンルの人のライティングに、わかっていないなどとは死んでも思いたくない。私はライター意識などない。そんなものは恥ずかしくて持ちたくない。上手な文章、わかった文章になど意味はないと思っている。真情をどこまでこめられるか。そのためには下手な文章になってもいい! (*真情をこめたら下手な文章になるのではないか? 真情がスタイルにおさまるはずはない)

穂村氏は、何者でもない私に対しナイフ(*匕首--あいくち--と書きたいところだ)をつきつけた。何者でもない者として、私は「花魂 HANADAMA」で、即興詩唱をする。何者でもないから。詩唱をすることでしか、当面、生きていけない。ジャンルの意識などどこにもない。持ちたくもない。持てない人間はどうするか? 答えはわかっている。 (*テロに走るしかないだろう。テロリストは、何者でもない人である。私のテロは、他者へのそれではない。自己へのテロである)

〈補;以下はtwitterに書いた文章ではない〉
穂村氏の同書には、普通の人と歌人というテーマの文章もある。書き出しは詩人・谷川俊太郎氏が、普通の人(一般市民、庶民、市井の人)とつながっていたいし彼らの言葉で書きたいと思って来たと発言したこと。歌人の意識は、谷川氏がいうよりなお普通であり、普通であることが大歌人の条件と、わざわざ穂村氏はいう。しかし、谷川氏の発言はもちろん、この命題自体を私は好まない。一般市民の普通さなど、どの口から指摘できるのか。市民は普通であって普通じゃない。詩人も歌人も、普通ではないし普通である。こういう区別の仕方自体、私は拒否する。私が最も好まないもの、「選民意識」。事実は、ただそこに、人がいるだけだ。(*他人を普通だとか普通じゃないとか、自分を普通であるとか、そういう発言をすること自体が、すでに普通である)

考えてみれば、初めに書いた穂村弘氏の言葉。他ジャンルの人は短歌をわかっていないといものだが、取るに足らない。例えば八百屋のことを八百屋以外の人がわかるか? わかるわけがない。誰も他ジャンルのことはわからない。穂村氏が私のことをわかるはずはないし、私も、歌人ではないからではなく、そもそも、穂村氏のことをわからないし、歌についてはわからない。自分を卑下するのではなく、それは事実。いうまでもない。そして穂村氏は、わざわざ書くまでもない。読む私は、ことさら反応することもない。そもそも、八百屋も歌人もライターも、他人にはわかってもらえないということを前提に生きている。わかってもらえないが、どうするか、わかってもらえないが、それとして生きていくしかないじゃないか、ということを自覚するのが人間ではないのか。



何もできず 9.16(*9.18記)

穂村弘氏『もうおうちへかえりましょう』書評を出す。
twitterにはいろいろと書いたが、書評では、その思いと別に、歌人という存在について書いた。歌人は、自体を詠む存在である、と。その思いに嘘や誇張はない。twitterに書いた思いを経て、書評を書いたということだ。「その思いと別に」というのは、私的感情とは分けて、ということ。私的感情をむき出しにするのは、好きではない。むき出しにしていると思う人がいるかもしれないが。
赤染晶子氏の芥川賞受賞作『乙女の密告』について、今日のうちに書評を書いて出そうとしたが無理だった。しかし、できるだけ書く。一日に二冊は無理なのだろうか。いや、単に考えがまとまっていないだけ。この日はまったく音楽ができず。「日々花いけ」もできない。



五度目の練習 9.17(*9.18記)

朝、赤染晶子氏の『乙女の密告』書評を出す。
「日々花いけ」を2つ。
谷中ボッサからメールが来る。搬入について、など。少しずつ本番が迫っている感。連絡しなければ。
四度目の練習。1時間、何も使わずに何を語れるか、どこまでできるかを試す。
思いがけない展開になった。月の都に行くカップルの話。駅前で配っているチラシに、月の都行きバスの案内があった。半信半疑で応募すると当選して、深夜のバスに乗り込む。すでにたくさんのカップルが乗っている。目を覚ますと本当に月の都に来ていた。月の都のライブハウス、月の都の寺などへ行く。そこであらわになる、男と女の、本当の気持ち。ふたりは、もとの町に帰れるのか?
 物語が生まれた。原稿用紙に向かってもコンピュータに向かっても、生まれなかっただろう物語。
 反省点。花が全篇をおおうことはなかった--「花魂」のための詩唱なのだから、もっと花を意識すべきだったか?--しかし、ライブハウスの場面に、花の詩を詠んでいる女を登場させた。物語の象徴的な場面ではあったと思う。
 とにかく、一時間、語り続けることはできた。それは不可能ではない。詩的かどうかは別。詩唱かどうかは別。しかし、詩的、詩唱ということは、私なりのスタイルがあるので、誰に何をいわれても問題ではない。次の練習では、物語ではない詩を意識したいと思う。試みよう。
 以下、気をつけたいこと。
 即興に馴れないこと。何かしていればそれで即興、表現になるなどとは思いたくない。自分がこれまでに立ったことがない、ぎりぎりの淵で表現したい。
 前にした話を、もう一度するのはいいことか悪いことか。月の都の話など、たいへん魅力的である。次に話せばもっとよくなるかもしれない。悪くなるかもしれない。しかし、その世界をもっと見たいと思う。見るためには、語るしかないだろう。(*これは重要。未知の世界を見たいから、作家は書くのである)ただ、前の物語があるから続きがあるので、お客様に知ってもらうなら、前の話を語らないとわからない。これは、なぞることだ。私が知りたいだけなら、ひとりで続きを語ればいいわけだが。
 いずれにせよ、このように、あれこれ思うこと自体が即興らしくない。何も考えずに語り出せばいいのかもしれない。

 清道洋一氏と会い、打ち合わせの後、ギターを聴いてもらう。
 深夜、「日々花いけ」を1つ。これでもまだ追いついていない。眠くなって、文章までは書けなかった。

2010年9月17日金曜日

日々花いけ.19 *9.16(9.17作)


デルフィニウムの花を水に浮かべました。庭に落ちていた枯れ枝を、添えました。
水面の花は、枝でつついても、なかなか動きませんでした。

日々花いけ.18 *9.15(9.17作)


ペポカボチャを逆さまにして中央を削り、そこにパニカムを三本、挿しました。
丈が高いので、引いて写真を撮りました。
背景が波打っているのは、黒い着物だからです。

日々花いけ.17 *9.14(9.17作)


トルコキキョウの花びらを、喜多村光史さんの器に敷き詰めました。
中央に、雄しべを立てました。
白い花もあったので、そちらも生かし、にぎやかにすることも考えましたが、シンプルな方がいいだろうとの考えに落ち着きました。

2010年9月15日水曜日

即興で詩を五つ詠みました *9.15

毎月第三水曜日、西荻窪の奇聞屋で、朗読の会がありました。
今日の参加者は12人です。多い部類です。
「花魂 HANADAMA」の試みとして、西行の『山家集』から、秋の花にまつわる歌を、五人の参加者に任意に選んでいただき、私はそれを知らないまま、詠み上げられた歌をもとにして即興詩を詠みました。
花にまつわるものなので、トルコキキョウを背中に挿し、私が詠み終えるごとに、ひとつずつ花を千切って捨てていきました。
どのように映ったでしょうか?
奇聞屋を練習の場に使う気はありません。これはこれなりに、私の表現として行いました。

トロッタ12にちなんだ詩として、田中修一さんがシリーズで作曲している、『ムーヴメント』のもとになった詩、『亂譜』『瓦礫の王』『未來の神話』を詠みました。これもまた、即興です。そもそも、ピアノが即興演奏です。そういえばずっと、奇聞屋では、吉川正夫さんの弾く即興ピアノで詠んでいたのであり、即興にまったく無縁というわけではないのでした。
これはきちんと書いておかなければなりませんが、吉川正夫さんのピアノが素晴らしかった。会場に着いてから詩をお渡ししたのですが、読み込んでおられ、『亂譜』の世界にふさわしい演奏をしてくださいました。ありがとうございます。

二度目と三度目の練習 *9.13−9.14

二度目の練習 *9.13(9.15記)

忘れずに書いておかなければならない。9月12日(日)、二度目の練習をした。一時間という時間を、私は生きられるのか?
寄せられた花の詩文として用いたのは、『新古今』の一首。秋に感じた風、というテーマ。私自身の詩としては、再び、花の三部作を用いる。この日は、三作すべてを読んだ。途中、詩を破る場面では、裏面に印刷してあると、裏を詠むまで破れないという簡単なことに初めて気づく。裏面には印刷しないこと。それと、『新古今』や「詩の通信」など、印刷された文字が小さいと、暗くなると詠みづらい。コピーして、大きな文字にしておくこと。
カラオケルームでの練習だったので、別室の歌い声や廊下を人が歩く音などが聴こえる。そうした声や音に、反応したいと思った。
そうした声音に対する反応の言葉が出た。即興詩としては、日々の暮らしにもとづく情景を詠み、一時間が経つころには、その情景を物語として詠み終えることができたように思う。思わぬ結論が出たようにも思う。これは、トロッタなどで、できた曲を詠っているとわからないことだ。自分の心が、ひとつもふたつも大きくなった気持ちである。しかも、麻薬などの力ではなく、意志を持って行い、その上で大きくなった。もちろん、お客様がいたとして、その方々の心を動かすものになったかどうかは別。また、私は意志の力を絶対視しているわけでもない。
また、そうした即興表現が私にふさわしいかどうかはわからない。しかし、できたと思う。できないよりできることは大切だ。即興表現で得た感触を、トロッタに生かすことができる。それは、譜面を前にしながらも、心を一回り、二回り、大きくしてゆくことである。心は即興なのだ。ということは、できた詩を詠むことも、非即興ではないといえる。ただ詠んでいるのと、詠みながら、詩以外の世界に行く。それができさえすれば、書かれた詩を詠んでいるから非即興なんですよと、へりくだらなくてよい。そうしたものとして、「花魂 HANADAMA」の詩唱を性格づけることができる。



歌人の言葉 *9.13(9.15記)

穂村弘氏のエッセイ集『もうおうちへかえりましょう』『世界音痴』を読み続ける。第一歌集『シンジケート』も読む。そのため、どこへも行けず。
私は、頑な言い方だが、穂村弘氏の歌を、特におもしろいと思わない。多くの人が支持しているのだから、彼が力をもっていることは間違いないだろう。必要としている人がいることも確かだ。それでも、エッセイ集を読みながら、思ったことがある。書評も、その点を書くことになる。それは、歌人の言葉ということ。歌人の言葉、文章が持つ力、ということ。
日々、言葉について考え、感じている者が書く文章、言葉で表現している者の文章、それは、表現していない人の文章とは異なる。私自身が感じている。あまりいうとわけがわからなくなるが、言葉で、表現しようとすらしていない。言葉を生きている感覚。上手な言葉など書く必要はない。下手でいい。生きているか死んでいるか。それが問題だ。死んでいてもいいだろう。それは生きることの反対だから。とにかく、総合的に、言葉の世界にいる、ということ。
穂村弘氏がそうであることは、氏に対する世間的評価とは別に、私も感じた。
「花魂」で私が発する言葉も、生きたものでありたい。いや、それは願望ではなく、可能だと確信できる。ただ、その先、でき得れば表現のレベルにまで昇華させた。穂村氏だって、エッセイと短歌は違うだろう。いや、彼は違わないのか?

夜、西荻窪の古書店、音羽館に、トロッタ12と「花魂 HANADAMA」のチラシを置かせてもらう。



魂が降りて来る *9.14(9.15記)

東京音大民族音楽研究所に、トロッタ12のチラシを置かせてもらいに行く。近所の古書往来座に、トロッタと合わせ、「花魂 HANADAMA」のチラシも置かせてもらう。店で、池田弥三郎の『日本文学の“素材”』(88・日本放送出版協会)を購入。かつて何冊も持っていた本であり、池田弥三郎氏には、多くのことを教わった。池田氏の著作には懐かしさがある。今は一冊も持っていない。『日本文学の“素材”』に、こんな記述があった。
「花を見るというのは、生け花みたいなものにしても、意味があります。民俗学では、床の間に生きているままの花を飾るということは、そこへ魂を招くことなのだという解釈をしております」
「生け花というのは、生けておく花、生きたままでそこに置いておく花です。枯れたのでは駄目だ−−この頃は造花の生け花なんかもあるようだけど−−ほんとうに生きている花を持って来て、そこに据えるのです。これは、月見の時に、銀月を出して月を招いたのと同じように、花をそこに置いて、そこを目ざして人間の魂がやって来る。つまり霊魂をそこに迎えるために花を飾ったのだというのが、今の華道のもととなっているのです。単に美しいから見るというのは花見の一番もとにあるすがたではない。もう一つ前に、そこに霊魂を呼び迎えるということがあって、そこから生け花ということも起ってきているわけです」
この見解が正しいかどうかはわからない。上野雄次氏の考えとは違うかもしれない。違っていてもいい。私も、池田弥三郎の考えのみを支持するわけではない。第一、私は民俗学の徒ではない。ただ、魂を生けた花に呼び寄せる、あるいは魂が生けた花に降りて来る、という考えはおもしろいと思うし、上野氏の花には、その気配が濃い。だから私も「花魂」と名づけたのだろう。

阿佐ヶ谷のカラオケルームにて、三度目の練習を行なう。時間がないので、この日は30分にとどめる。一時間の半分としての30分。寄せられた詩文としては、『工藤直子詩集』より、「花」という短い詩を選んで詠み、そこからどこまで即興詩唱できるか、試した。
30分という時間の短さを思う。入り口で終った感じだった。気をつけなければならないのは、だらだら続けるなら、いくらでもできるということ。完成度を問題にするなら、むしろ短い方がいい。しかし、見苦しさも含めて生きていることと思うなら、「花魂」においては、1時間は必要である。

『花骸-はなむくろ-』新篇を、再び書き始める。

2010年9月13日月曜日

日々花いけ.16 *9.13


グレープフルーツを剝きました。
皮です。

日々花いけ.15 *9.12


おみなえしを何本か、ストローに挿しました。水を入れてあります。
立てたかったのですが、方法がありません。

2010年9月12日日曜日

穂村弘氏のこと *9.12

WEB版FIGARO Japonの書評で、歌人、穂村弘氏について書くことにした。
小学館文庫に、今月の新刊として入ったエッセイ集、『もうおうちへかえりましょう』を取り上げる。
その本自体、新刊なのに、新宿の大きな書店にない。あるところもある。何軒か回ったが、品薄であった。
改めて、彼の人気ぶりを実感した。
『もうおうちへかえりましょう』に加え、エッセイ集の『世界音痴』と、第一歌集『シンジケート』を購入。
私は彼の歌を、おもしろいと思ったことがない。
最近作に『絶叫委員会』という評論があるが、これも、さほどおもしろくなかった。おそらく、彼の愛読者は、こういう書き方に笑っているのだろうというのが読め、読めたとたんに気持ちが冷める。
そんな、おもしろいと思わない穂村弘なのに、どうして書こうとするのか。
「花魂 HANADAMA」についての思考が関係している。歌とは、何か。その考えの延長上に、自然に、穂村弘氏が登場した。(先に買った『昭和萬葉集』には、穂村弘は収められていない。最後の別巻が出たのは昭和55年、1980年だから。彼が角川短歌新人賞の次席になったのは1986年、昭和61年。この時の受賞者は、『サラダ記念日』の俵万智。第1歌集『シンジケート』が刊行されたのは1989年、昭和64年。昭和である。後世、改めて『昭和萬葉集』が編まれたら、穂村弘は入るだろうし、人気ぶりを見れば、入れなければおかしい)
岡井隆氏の『私の戦後短歌史』に、ここ五年間は、穂村弘の時代だった、という言説があった。本当にそうなのか。わからないが、少なくともそこまでいわせるだけの状況があることは間違いないだろう。私のように、別におもしろくないと思う者がいても、穂村弘は受け入れられている。彼に、そうなりたい願望があるかどうかは別問題である。
本当に、そのように高評価される歌人なのか。知りたい、確かめたいと思った。
彼の歌には、時代が反映されているはずだ。時代のできごとを詠まなければならないことはない。気分でもいい。
私が穂村弘本人で、「花魂」に出るなら、短歌を詠むだろう。詠むに値する短歌であるかどうか、見極めたい。

日々花いけ.14 *9.11(9.12作)


われもこうを、敷き詰めた石の間に挿していきました。

美的観点からいえば、かなり、雑になっています。
しかし、所有する時間や精神の状態など、さまざまの面から、この状態でアップします。

文章に時間がかかりました *9.11(9.12記)

昨日の、「3分の1が過ぎました」という文章を書くのに、考えながら書いたため、あまりにも時間がかかりました。アップした後は、ほとんど何もできないありさまです。

忘れずに書いておきますと。10日(金)には、渋谷の古書店、フライング・ブックスと、吉祥寺の古書店、百年に、トロッタ12のチラシと合わせ、「花魂 HANADAMA」のチラシを置かせていただきました。

まったく何も持たず、舞台に出て、どこまでできるか、試してみるのもいいでしょう。その結果が、惨めなものに終ったとしても、それが私だと納得できます。その反面、私も知らなかった私に出会えるかもしれません。ただ、お客様が相手なので、期待を裏切るのが怖いし、申し訳ないという思いがあります。そうならないための安全策、あるいは保険として、出来合いの詩を持って出るのだとしたら、それはまた、別の意味で申し訳ないとも思います。

時間はかかりましたが、3分の1の時点で文章を書いておいたことは、確認の意味、覚悟を決める意味で、よかったと思います。

2010年9月11日土曜日

日々花いけ.13 *9.10(9.11作)


エキナセアの、花びらが落ちた状態のものを、針金を塊にした中に挿しました。
倒れないようにするための針金ではありません。
結果はそうなりましたが、花と、金属質のものをからめたかったのです。

3分の1が過ぎました *9.10(9.11記)

「花魂 HANADAMA」まで、あと、約20日となりました。本格的準備期間の、最初の10日が過ぎました。「ヤマビル」の詩を書いたり、日々花いけをするなど、試行錯誤してきました。この間に夏は過ぎ、秋の気配が強まっています。現在、思っていることを書きます。

A) 私が観客、聴衆である時、どんなことでも観て、聴こうとします。役者、演奏者とはまったく違う意識でいます。幕の垂れ具合も、楽譜の折れ目も、興味の対象となります。台詞をとちり、演奏をミスし、といったことすら、忘れ難い記憶となり、その場の刺激となります。そつのない舞台より、そつのある舞台の方が、記憶には残ります。--記憶に残ることだけを問題にすれば。演じ演奏している側と観て聴く側とは関心の向き方が違います--つまり、舞台の人々が生きている姿に、客席で生きている私が反応しているのです。生きていることが、最大のテーマであり、最も大切なことです。ボッサの舞台で私が沈黙し、言葉が出ず七転八倒し焦る姿すら、観ていただくものとなります。--楽天的に考えているわけではありません--また、私ひとりではなく、上野雄次さんがいて、花いけをしています。お客様は、退屈しないでしょう。安直に、上野さんに頼り切る意味ではなく、信頼しあうという意味で、彼と一緒に舞台にいて、生きていればいいと思います。もちろん、お客様に、うまくコラボレーションできていると思っていただけるかどうか。それは別問題です。緊密にからむ、そのための緊張感は保ち、時に激しく、時に穏やかに、時間を過ごしたいと思います。

B) 私の詩は、一般的な詩らしくありません。詩というより、ショートストーリーのようだといわれたことがあります。物語のような詩です。散文詩を、まず好んだことも、今のスタイルが生まれた理由でしょう。それでいいと思います。詩とは何か、どこまでが詩で、どこからが小説であるなどという議論に、時間を費やしたくありません。木部の書いている詩は詩ではないといわれてもかまいません。書きたいスタイルで、書きたいことを書いているだけです。詩人によっては、朗読すること自体、嫌だという人がいるでしょう。私は声に出さなければ完成しないと思っています。まったく価値観が異なります。
そう思うからには特に、ゼロから発する言葉ではありますが、ボッサで口にする詩は、私らしい物語詩でありたいと思います。ただ一言、「雨が降らない」でもいいのです。想像力を喚起する言葉、想像力を喚起する物語を、口にできればと思います。
「花魂 HANADAMA」の準備を始めて以来、「ヤマビル」の詩が書けないと悩んでいますが、ボッサの舞台で口にしていけばいいのではないでしょうか。ボッサの舞台で口にしたものが、「ヤマビル」の詩だといっていいかもしれません。とにかくじっくり、一言、一言、大事にしていきたいと思います。
立板に水のように詠むなど、嘘です。楽譜でいえば、一小節ずつ、確かめながら発声していきたいと思います。自分が理性的だと思うなら--理性的ではありませんが--、自分なりに理性的でいればいいのでは? 何かに憑依され、言葉が後から後から湧いて出るなど、私ではありません。ぽつりぽつり、一語発して、その言葉を確かめ、新しい次の言葉を発する。コンピュータに向ってしていることを、肉体ですればいいのです。
出来合いの詩は、なるべく詠まないこと。よほど即興的に、詩を破壊できるくらいならいいのですが。そのために、どこかの場面で、カットアップ手法を採用したいと思います。
舞台に持って出てゆくもの、上野さんが花材というなら、私は詩材ですが、それは一日ごとに、最小限のものとします。

C) 小石、ギター、紙と、音の出すものをいくつか用意したいと思っていました。目下、採用できるかなと思っているのは、紙だけです。楽器としての石の使い方は、もちろん自由でいいのですが、すでに多くの人が、原始時代から試みていることです。ギターはいわずもがな。どちらも多くの人が使っおり、それらを使ってすばらしい即興演奏ができるならいいのですが、目下、その力はありません。それに対して紙は、私が最も親しい、音の出る素材です。破けば音がします。そこには文字が書かれてあり、書かれてある出来合いの、整然とした文字の連なりを、私は破ることで拒否します。いかにも、というシンボリックな行為であり、そういう思わせぶりは好きではありませんが、とりあえず、いたします。破る音に期待できますが、それよりも、カットアップ手法のために破ります。紙をちぎって、言葉の断片を拾い集めて詩を作るカットアップ。言葉の断片が偶然に組み合わされ、つながって、私の意思を超えた意思が生まれるでしょう。そこには意味から解放された、純粋な、言葉の力があるかもしれません。
カットアップは、おもしろいと思いながら、これまで私はして来ませんでした。これからも、しようとは思いません。やはり、理性的でいようとしているのです。頑なでしょうか? しかし頑なであるのも私です。それならば、そこで愚かになればいいと思います。

D) 雑音でも下水の音でもお客様の咳でも、その場で聴こえる、あるいは気にとめる何かに反応して言葉にできるか、というテーマがあります。私は上野さんに反応できるでしょうか。
上野さんに、発しようとして発する音はありませんが、これまでの経験では、実にさまざまな音があります。花を切ったり生けたりする、がさごそだけでも、非常に強い音です。仮に音を出すまいとすれば、音を超えた強い気配を、彼は生むでしょう。それに反応したいと思います。そして、はっきりした音を、声を出すのは私であると、自覚いたします。
上野さんから私への働きかけは可能だろうかと思います。コラボレーションしている意味、形を、どこかで表現したいと思います。例えば、上野さんが私に花を生ける、というようなこと。仮にそれが実現したとして、私は上野さんの花いけに、どう反応すればいいのか。理想は、上野さんの花を見て、その場で詩を詠むことですが、できるでしょうか? 単なる描写ではつまりません。花いけに反応した、まったく別の言葉、ビル街の風景とか、男と女がいる風景とか、そういうことを言葉にできればと思います。

F) ナルシスティックに、自分に酔った表現はしたくありません。私は、それをしがちです。うずくまるだけなど、自我を殺して表現したいと思います。前にいわれました。いい声に酔っている。いい声を聴かせようとしている。愚かな話です。お客様は見ていられないでしょう。あるいは、ばかだなと思って、それ自体を見せ物と感じてくださるか。ナルシスティックだから、トロッタの集客に苦労しているのではありませんか? 他人の舞台を見て、酔ってるなと感じる人がいます。それは私です。人の舞台にみにくさを感じるなら、私はその十倍のみにくさを発揮していると思った方がいいでしょう。

G) 以前、ビデオを作っていた時に思いました。撮る対象がなくなれば、自分を撮ればいい。自分のからだこそ、最も豊かな素材である、と。ナルシスティックな考えかも知れませんが、真実だと、今も思っています。しかし、私はダンサーでも役者でもありません。いうなれば詩唱者です。肉体を売り物にはできません。しかし、自分のからだが素材だと思えば、ありのまま、鍛えてもいない姿で、人前に出て、からだが発する声音を、ありのままお聞かせしていいと思います。それが、即興ということでしょうか。つまり、何にも頼らないということ。舞台で生きていればいい。準備は苦しいですが、舞台は、ありのままいればいいのですから、楽しく、楽であって、いいと思います。
即興は、現在形の表現です。現在しかありません。現在の自分だけを素材にできます。何百年も前の楽譜を頼りにして音を出すのではありません。考えてはいけません。自問しますが、あなたは考えて生きていますか? 何も考えないで生きているはずです。それを見せればいいと思います。ただし、舞台で現在を生きていなければ、何の意味もない表現です。現在と向き合うことです。
六日間、連続公演します。できるかなと思います。しかし、毎日生きているのですから、上の考えに立って、毎日即興す=生きればいいと思いました。できるはずです。昼間はいつもの仕事をして、トロッタの準備もして、夜になったらボッサに行って、即興する。それを繰り返せばいいのではないでしょうか。実際、そうしなければ、例えば朝から斎戒沐浴して夜に備えるなど、私を取り巻く状況が許しません。もちろん、上野さんとの時間を過ごすために、新たなお客様と向き合うために、舞台で生きるために、準備をします。

2010年9月10日金曜日

日々花いけ.12 *9.9記


魂、すなわち玉ではなく、さらりとした味わいも、欲しくなります。
軒に落ちて来た葉を、喜多村光史さんの器に置かせていただきました。
器のところどころが紅く染まっています。申し訳ないことですが、先日の、赤インクの名残です。

心が決まってきました *9.9(9.10記)

水曜日、こうすれば即興詩唱になるかもしれない、その形が、決まってきました。
やはり、自分の心から、素直に生まれて来る言葉を、大切にして発声したいと思います。
岡野弘彦氏の歌を詠んでもいいし、源実朝の『金槐和歌集』でもいいのですが、
あくまで私の心と共振した歌を詠みます。
ただ問題は、お客様に聴いていただくものになるかどうか。
1時間を予定しています。無理にその時間を埋めなくていいと思いますが、
少しはボリュームのあるものにしたい、私の言い方では、スケールのあるものにしたい。
それに上野雄次さんと共演するのですから、それに見合った表現にしたいと思います。
勝手に始めて勝手に終るわけにはいきません。
また、共演というに足る内容にしなければいけません。
金曜日に、トロッタ12の合わせ、今井重幸先生の『シギリヤ・ヒターナ』を渋谷で行ないますが、
その前に、1時間ほど、試してみようと思います。

a) 1時間ないし、それなりの時間を持たせられるのか。適当なおしゃべりをするのではなく、一言や数語の断片であるにせよ、詩になっていなければと思います。
b) その時間、言葉を発し続けられるのか。上も合わせて、ゼロから言葉を紡ぐのは初めてのことです。
c) 言葉だけでなく音を、出してみます。ギターなり即興で弾ければいいのですが、それはできません。
d) 雑音でいいし、下水の音でもいいし、お客様の咳でもいいのですが、それに反応して言葉にできるのか。
e) 上はつまり、上野さんの気配に反応して声を出せるのか、ということです。勝手にするのではありません。
f) 上野さんに、何らかの、私への働きかけをお願いしようと思います。花いけをまったく見ず、気配のみ感じる方法もあると思います。
g) 言葉が連続しなくてもかまいません。正直な言葉を発せられるか。理路整然としている必要はまったくありません。
h) 私は肉体表現をするということ。トロッタでもすでにそうですが、からだを使った表現をします。ダンサーでも役者でも歌手でもなく、詩唱者という肉体表現者になる。できるか?



先日、疑問に思ったことを書いておきます。
ある方の朗読会に出ました。
その方は、朗読が初めてだったということです。1時間の舞台でした。
ひとりで1時間を持たせるのは難しいと思いますが、よく努めておられたと思います。
いろいろと刺激を受けました。
終った時、プロデュースをされた方がいいました。
ここにいるお客様は、その方の初めての朗読を聴いたわけです。
今日は初めてなので、声の調子や朗読の仕方について、わからないことがあり、不安定ですが、
10回をこなすころになると、必ず変わってきます。保証します。
そこまで続けるかどうかは、その方次第です、云々。
私は、別に変わらなくてもいいんじゃないかと思いました。
また、続けなくてもいいんじゃないかと思いました。
不安定でもいいんじゃないかと思いました。
その人らしさが出ていれば、何も問題ありません。
途中で水を飲んでも咳をしてもつかえても、疲れたからといって座ったり、無駄なおしゃべりをしても、
その人らしければ、かまいません。
常に太い声で聴く人を圧倒する必要などまったくありません。
私に関していえば、違います。
私は、自分を鍛えようと思いますし、鍛えた上で、舞台に立とうと思います。それが私です。
咳をしたり、つかえたり、ろれつが回らなくなったりすることのないようにしたいと思ってきました。
その成果を、トロッタでお聴きいただいていると思います。
ただし、「花魂 HANADAMA」については違います。
お見苦しい姿をお見せしてもいいと思います。
ありのままの姿と声で、1時間を過ごそうと思っています。
ですので、決まりきった歌集を詠み、そんなのは即興じゃないじゃないかといわれても、
私は生きている姿=即興をお見せしてお聴きいただいたのだから、これでいいのですというつもりです。

その方の朗読会に、プロデューサーのお言葉を含めて、私は示唆を受けています。

2010年9月9日木曜日

歌、ということ *9.8(9.9記)

9.8(9.9記)
朝、家を出ようとすると、郵便受けに、岡野弘彦氏の『折口信夫の晩年』が届いていました。
この本を、これまでに何度、読んできたかわかりません。
一時期は、二十冊くらい持っていたと思います。もちろん、同じ本を、です。本屋で見るたびにほしくなり、買ってしまいました。よくいえば、常に新鮮な気持ちで向き合っていたわけです。
しかし、今思えば、決定的な読み間違いをしていたと思います。『折口信夫の晩年』を、私は戦後の折口について、同居して身の回りの世話をしていた岡野氏が書いた、一種の回想的ドキュメントだととらえていたのです。
『横尾忠則 365日の伝説』『伊福部昭 音楽家の誕生』を書く時の私は、『折口信夫の晩年』を意識していました。

横尾氏の本は、ドキュメントとして書きました。横尾氏のように、次から次へと行動して、さまざまなことをする個性に対しては、同時代、同時間を共有する者として、ドキュメントの書き方が最も有効だと思ったからです。横尾氏と行動した一年を忘れることはできません。
伊福部氏の本は、物語りとして書きました。音楽家は、どのようにして生まれるのか。その過程を、物語りたかったのです。伊福部氏の語りがあり、私の取材があり、作品論がありと、書き手として生きてきた私が、1997年当時に持っていたすべて注ぎこんだものになっています。

岡野氏の『折口信夫の晩年』も、ドキュメントかも知れず、物語かもしれず、あるいは回想記かもしれません。しかし、これは岡野氏が、歌人としての自分の生き方、考え方を述べた本です。折口を語りながら、岡野氏は、自分を語っています。歌についても語っています。そんなことは当然の話で、別の個性が折口と同居し、死に至る戦後の姿を書いたなら、まったく別の内容になったでしょう。
そこに気づきませんでした。

届いた本の題簽に、ごきぶりの糞の跡がありました。汚れですが、これもまた、歴史です。ごきぶりが生きた証であり、本が生きてきた証です。

高円寺に行って朝食を採り、これから仕事をしようと思ったところ、ある方が現れました。会いたくありません。最近は朗読をしていますか? とお訊ききになるので、朗読はしていません、音楽をしています、と応えました。あなたのしていることは朗読に見えたけれど。していることは朗読でしょうが、総体の表現としては音楽です、と言葉を添えました。レッスンを休んでまで仕事をしようとしているのに、ここでおしゃべりをしている暇はないという思いが、ストレートなものいいとなりました。しかし、本心です。

橘川琢さんに、トロッタ12のチラシ300枚を届けました。橘川さんが作曲中の詩曲『黄金の花降る』には、上野雄次さんも出演されます。
甲田潤さんと会い、合唱曲『シェヘラザード』第一楽章の詩をすべて渡しました。
清道洋一さんから連絡があり、明日、長谷部二郎先生を交えて会うことにしました。トロッタ12の曲『イリュージョン illusion』の打ち合わせです。

甲田さんと会った帰り、吉祥寺の古本屋をめぐるなどしているうち、『花魂 HANADAMA』について、思い至ったことがありました。この方法で、即興詩唱できるかもしれない、ということです。

短歌、和歌について、最近ずっと考えています。感じようとしています。
日本語では、短歌や和歌は、歌です。浪曲は語りでしょう。歌謡曲も歌劇も童謡も民謡も声楽曲も、みんな歌です。能も、
日本人にとって、歌とは何でしょうか。メロディがある、声の表現ですか?
短歌をただ平板に詠んでも、あれは歌であり、朗読ではなく、朗詠、朗唱です。短歌を語るとはいいません。
私は学問をしようとしているわけではないので、こんな定義はどうでもいいのです。自分にとって歌と思える表現をしていくだけです。
「花魂 HANADAMA」が、その確信を得る機会になりそうです。

夜、書評のために、最も新しい芥川賞受賞作、赤染晶子さんの『乙女の密告』を読み始めました。ほぼ読んだところで、そのまま寝てしまったのですが。

「日々花いけ」の準備だけして、この日のうちには、ついに生けられませんでした。

日々花いけ.11 *9.8記(9.9作)


あなたのしていることは花いけではない、といわれそうな作です。
では、花いけとは何でしょう。
蔦の枯れ葉を、器に盛った土に挿しました。


そして、路傍の草を土に植えておいたところ、一晩経つと、水がないのでしおれました。
経過ですので、掲げます。日々花いけの最終作は、蔦です。

2010年9月8日水曜日

レッスンを休みました *9.8記

初めて、歌とギターのレッスンを休みました。休まなければ、精神の平衡が保てそうになかったからです。

2010年9月7日火曜日

ここ数日のこと *9.7記

ここ二、三日、気分が停滞していました。「花魂 HANADAMA」についての考え、何をするかがまとまらず、またトロッタのことも気になり、結局はまとまって何もできない時間が続いていました。とりつくろっても意味がないので、二、三日分をまとめて書きます。多少の前後があると思います。

9.5(9.7記)
朝、早く起きられません。疲れがたまっているのでしょうか? そんなことはいっていられないのですが。

発送作業を行っている〈art-Link 上野-谷中〉の皆さんに、「花魂 HANADAMA」のチラシを届けました。その帰り道、上野古書のまちに立ち寄って、岡野弘彦氏の第二歌集『滄浪歌』購入。第二歌集、第三歌集もありましたが、一度に買う勇気がなく、後回しにしました。
『花骸 -はなむくろ-』新篇を書き続けようとしましたが、うまくいきません。



9.6(9.7記)
「詩の通信V」第3号の詩を書きました。久しぶりで、発行日に書けました。しかし、発行できません。

短歌新聞社に行き、岡野弘彦氏の第一歌集『冬の家族』の文庫版を買いました。高円寺駅前なので近いのです。

上野雄次さんに、トロッタのチラシ、「花魂」のチラシ、〈art-Link 上野-谷中〉のマップなどを送りました。

上野古書のまちに予約をしておき、岡野弘彦氏の第三歌集『まほろばの歌』、第四歌集『天の鶴群(たづむら)』を購入。続いて、『昭和萬葉集』も購入しました。全20巻+別館が、たった2,000円です。

帰途、岡野弘彦氏の中公文庫版歌集『海のまほろば』を買いました。ここには『冬の家族』『滄浪歌』『まほろばの歌』がすべて収められています。貴重です。

いろいろ考えましたが、岡野弘彦氏の歌を詠むことは、目下、しないと思います。氏の歌集を買ったり、『昭和萬葉集』を買ったりしましたが、これはこれとして意味があるので、後悔はしません。岡野氏の歌を詠まない理由は、氏の歌集の解説にある、飯島耕一氏の文に触れたからです。
飯島氏が、岡野氏の戦争体験を詠んだ歌を批判していました。
「こんな歌がもっとも新しい『海のまほろば』にもあるのは一問題だろう。『苦しゑ』とここにあるのはもはや嘘である。戦中は苦しかったという思い出に酔うべきではない。『苦しゑ』もくりかえされるとうとましくなる。現在にもっと苦しんでいる人がいるはずです。もっとも若き日に戦争があったので、忘れることはできないのは当然である。しかし思い出ともっとたたかった、その結果の歌が見たい」
実に好意的な批判だと思いました。
やはり、私は現代人であるべきです。
現代人として感じていることを詠み、歌うべきです。
もちろん『新古今』だって現代人として詠むので、詠んでいけないわけはないのですが、岡野氏の歌ですら、それは他人の表現であり、私から遠いものがあります。私の意味を離れて、歌う者になろうというのが意図だったのですが、結局は岡野氏の意味を歌うことになるので、やはり完全には自由になれないでしょう。
この疑問を拭い去れれば、詠むかと思いますが。



しかし最大の問題は、『花骸-はなむくろ-』新篇がまったく進まないことです。ヤマビルがいるという市ケ谷駅のそばの土手にも行ってみました。駅のスターバックスで書こうとしましたが、インスピレーションが湧きません。何も降りてきません。無理に作っているような感じです。新篇というところに無理、わざとらしさがあるのでしょうか。



9.7記
『昭和萬葉集』全20巻+別巻が届きました。明日の到着だと思っていたので驚きました。たいへんな仕事だと思います。
飯島耕一氏が岡野氏に寄せた文章を頭に置きながら、現代人が現代に何を考えていたのかを読みたいと思います。「花魂」を、私は、現代の表現にしたいと思っています。

夕方から、ひたすら、甲田潤氏との共同作業である、『シェヘラザード』第一楽章の詩作を行いました。何とか形にしました。明日、彼に渡します。しかし、仕事ができず、焦りが湧いてきました。「花魂」についても、考えることはできないままです。

日々花いけ *9.7記


トマトです。齧りました。

日々花いけ.9 *9.6記(9.7作)


トルコキキョウの花で、花玉を作ってみました、
花魂、花玉、花球、花霊、みな同じ性質を持つと思います。

日々花いけ.8 *9.5記(9.7作)


初日に生けたヤエヒマワリの花が枯れました。
その中心に、杉並区を中心に見かける緑色の群れ成して飛ぶ鳥の羽を刺しました。

2010年9月5日日曜日

日々花いけ.7 *9.4記(9.5作)


花魂と呼べるものを可憐に映る、黄色いスターチスで創ってみました。
魂のひとつの解釈は、かたまりです。
まり、とは丸いもの。かた、は固いということでしょう。
たま、とは魂でしょうが、形状としては、丸いものが想定されたと思います。

詩『花骸 -はなむくろ-』新篇を書いています *9.4記

神田神保町など、古本屋をめぐり、何か手がかりがないかと探しています。
これが無駄なことであるとは、数日前、結論づけたことです。
しかし、探しています。足掻きです。
古典を詠もうとし、『金槐和歌集』『山家集』『新古今和歌集』『古今和歌集』などをあたりました。中には詠みたい歌もあります。しかし、現代人の感覚には、やはり遠いと感じました。その遠い歌を、詠み方ひとつで今に引き寄せてみることがおもしろいと思ったので、それなりに意味はあることだと思います。

現代歌人の作品は、やはり、物故者であれ現代人ですから、あまり突飛な詠み方は申し訳ない気がします。突飛に詠むなら、自分の詩を使えばいいわけです--突飛というのは、奇矯さ、それ自体が目的ではなく、自由にというほどの意味--。現代歌人の作品は、いろいろと読んでいるならまだしも、ほとんど読まないので、付け焼き刃で集めても、私らしさは出ません。他人の歌を読んでいることに加え、研究をし、実際に歌集を持っていることが条件でしょう。持っていません。

歌といえば、私にとって、最も身近な存在が、岡野弘彦氏です。初めは折口信夫に対する関心から、岡野氏の『晩年の折口信夫』を何度も繰り返して読みました。折口は偉大な表現者だと思いますが、実のところ、彼と私の接点は、あまりないのです。認めるし、すばらしいと思いますが、肌合いの違いは修正しようがない。
それより岡野氏の方に共感するところが多くあります。『晩年の折口信夫』を通して触れていたのは、当然なのですが、書かれた折口ではなく、書いた岡野氏でした。岡野氏の考えに触れていました。
ろくに知りもしない歌人の歌を探すより、岡野氏の歌を、詠むなら詠むべきでしょう。少なくとも彼の考えについては、長い間、親しんで来ました。歌集も、すべてではありませんが持っているし、何といっても御本人と話したことさえあります。

黒髪を手にたぐりよせ愛(かな)しさの声放つまでしひたげやまず

何度も、この歌を好きだと書いてきました。
他にも、花の歌を探してみようと思います。

岡野氏に、『花幾年』『華の記憶』という随筆集があります。花を意識している歌人です。私の詩に『花の記憶』がありますが、これは偶然です。少なくとも自作詩に題をつける時、岡野氏の随筆を頭に浮かべてはいませんでした。

『折口信夫回想』(中央公論社・68)を西荻窪の古本屋で購入しました。かつては折口関係、岡野氏関係の本はほとんど持っていましたが、今はまったくありません。これを機会に、つまり「花魂 HANADAMA」について考えていることを契機に、岡野氏の作品に触れていこうと思いました。

2010年9月4日土曜日

花のオペラ *9.4記

いくつか、したいと思うことがあります。
そのひとつが、即興的「花のオペラ」です。
頭の中でもやもやしたままですが、詩唱というからには、挑んでみたいテーマです。
少なくとも『花魂 HANADAMA』では、ソロなので、実現できれば、モノオペラということになります。
私の中では、橘川琢さんと共同作業した『花の記憶』『花骸-はなむくろ-』『異人の花』などは、「花のオペラ」の流れにあります。

チラシが届きました *9.4記

「花魂 HANADAMA」の本チラシ900枚が届きました。
前述しましたが、白黒のみで作りました。これからこの方針を多く取り入れたいと思います。
すでに仮チラシをかなり配っていますが、本チラシの関せで、引け目なく配れます。
明日、13時30分から、アートリンク事務局の方々が発送作業をするので、それに入れていただきます。

2010年9月3日金曜日

日々花いけ.6、磯子という町、など *9.3記(9.4作)


阿佐ヶ谷は樹々の多い町です。
空から枯れ葉や枯れ枝が降ってきます。
道で拾った枯れ葉を、瓦礫の山にいけてみました。



花材の枯れ葉は、数日前の拾って、机に置いておいたものです。
結果的には、数日経って、使い方がわかったというところですが、ここしばらく、書くことについても、そういうケースが多いことを感じます。
すぐに書き上げず、今日はここまでという見極めをして放置し、次の日に最初から見直して書き継いでいくわけです。夏の間、ずっと書き続けていた馬渕薫氏についての原稿がそうでした。そうして、結果的に、400枚の原稿ができました。
即興的ではないと思います。
自分に対して、決断が遅いとか、迷いがあるとか、そんなことが自覚していません。決断も迷いもない方だと思います。しかし、表現ということにおいて、時間をかける自分を、最近、自覚しています。
『花骸-はなむくろ-.2』についても、ある程度書いていますが、どうしても先が見えないので、放置しています。



磯子という町 *9.3(9.4)記

作曲家・田中修一さんを取材するために、横浜の磯子まで行きました。最寄り駅は磯子、バス停は間坂です。坂の下まで、かつては海であり、現在の駅の向こうは海水浴場だったそうです。
間坂という名があるとおり、田中さんの家は、丘の上にあります。入り組んだ細い坂道を抜けてゆきます。古い家が多く、いかにも、かつての海辺の町を想わせるただずまいです。
上野さんのプロフィールの「地脈を読み取り」という言葉を思い出しました。実際、植物が多いのですが、かつては植物が生える地脈、のようなものがあったのでしょう。埋め立ててしまい、表面上はわからなくなりました。しかし、見えない地脈のようなものが、きっとあることでしょう。感じたいと思います。感じて、詩唱にのぞみたいと思います。



植物人間 *9.3(9.4)記

「花魂 HANADAMA」について考え始めた時、子どものころに観たテレビ映画について、思い出しました。
それは『ウルトラマン』の「ミロガンダの秘密」(藤川桂介・脚本)と「来たのは誰だ」(海堂太郎・脚本)、そして『ウルトラセブン』の「緑の恐怖」(金城哲夫・脚本)です。
子どものころにはなかった不満、不足感を、改めて観て感じました。それは申し訳ないことです。しかし、いくつかの植物の特徴を、ドラマに見出しました。

「ミロガンダの秘密」では、その植物はきれいな水の流れる場所に生きていること。
「来たのは誰だ」では、その植物は動物の速度で移動し、思考すること。通常の植物の概念にはおさまらない。
「緑の恐怖」では、その植物は、動物を自分たちの仲間にすることで増えてゆく。
確かに、植物に水はつきものです。動物全般に、水は欠かせません。しかし特に植物にとっては、そうです。保水能力が、植物の生存条件を分けます。
食物は、一見動かないようですが、動いています。変化しています。動物の目には動いていると見えないだけで、根がのび蔓が巻きつき花が咲く、すべて動いているゆえのこと。それが動物の速さを持つことが、これらドラマに共通する点です。
植物が、他の動物にのりうつって増殖する、ということはないでしょうが、植物の持つ、動物にない特異な能力が、そうした想像に結びついたのかもしれません。

「花魂」で、そうしたドラマについて語るわけではありません。しかし、何でも手がかりにしたいので、考えてみました。



リハーサル、あるいは手合わせ *9.3(9.4)記

上野雄次さんに、「花魂 HANADAMA」でどんなことができるか、一種のリハーサルを申し入れています。
本番ですることの練習ではありません。本番は即興ですから、練習はありえません。
何ができるか、手合わせをしたいと思っています。
上野さんは応じてくださいましたが、目下、場所が見つかっていません。
心当たりがあるのですが、連絡が取れない状況です。

2010年9月2日木曜日

池田康さん朗読会 *9.2記

雑誌「洪水」を編集する池田康さんが、ご自身の詩集『一座』の刊行を記念した朗読会を行いました。
なかなか刺激的でした。詩人の原点はここにあるとさえ思いました。
いくつか、彼の朗読を聴きながら、「花魂 HANADAMA」でこうしたらどうかなど、ヒントになりました。
次は私だとも思います。

日々花いけ.5 *9.2記



道ばたで拾った薄紫色の花から、花びらだけをちぎって水盤に入れました。そこに赤インクを注ぎました。
一瓶分入れたのですが、思いのほかの少なさです。水盤いっぱいになって、花びらがぷかぷか浮く様を想像したのですが。
仕方なく、インクに漬けこんで、花びらを立てたり隅に寄せたり、いろいろしてみたのですが、思うようになりませんでした。
手が赤インクだらけになったのはいいのでうが、水盤まで赤く染まったため。ただいま漂白中です。
(残念ながら、とれないようです)

花の歌と詩 *9.2記

読み込んでいないためですが、現代歌人の歌に、やはり心引かれる私がいます。現代人ですから、それは当然のことでしょう。
古典の歌に、なかなか、同調できるものがありません。宗教観に覆われており、かつ、時代の美意識が、現代人の私と違うのです。
先に書きましたが、教養性があります。そのようなものに左右されず、ストレートに表現され、味わえるところが、やはり現代の作品といえるのではないでしょうか。
そして、歌といい詩といい、「花魂 HANADAMA」では、何も花を詠んだ作品に限って取り上げることはないのかもしれません。

岡野弘彦氏の歌。

黒髪を手にたぐりよせ愛(かな)しさの声放つまでしひたげやまず
この歌を、私は花を感じます。花の映像が浮かんで来るのは、単なる連想ではないと思いたいのです。男の私にとってですが、女性と花は、切っても切り離せません。

折口春洋の歌。

かくばかり 世界全土にすさまじきいくさの果ては、誰か見るべき

朝つひに命絶えたる兵一人木蔭にすゑて日中(ひなか)をさびしき

もし、この二首に花の存在を想像できれば、それはすさまじいものとなるでしょう。
歌人、釈迢空(折口信夫)の歌です。

葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり

私に、『冥(めい)という名の女』と題した詩があります。

くちなしの
真白き花に手を伸ばし
物いいたげに微笑む女
湧き立つ思い
抑えるすべを知らず
日傘の陰で
瞳はさらに光る
唇はさらに輝く
肌(はだえ)に散る朱(あか) たちまちに
顔寄せて花を手折らず
食らわんばかりなり
炎(ほむら)さえ舌先に燃え
女の名は 冥
ひとり 生きる
その身を与えし男たち
心のうちにすでになく
ただ眼前に
花 群がりて咲けり

花のために詩を書くべきか *9.2記

これまでにいくつか、花を生けました。それらの、拙いながら作品のために、詩を書いた方がいいのではないか?
そう思っていますが、目下、書けていません。詩に向かう時間がありません。
しかし、その気持ちはあります。

『花骸-はなむくろ-』新篇の核心が見ません。
「ヤマビル」が、現代の東京に住む人間と、どうかかわるのか。興味本位の域を出ないなら、書いても仕方がないと思います。
見えそうなものはあるのですが。
毎日、「ヤマビル」の土地に通いたい気持ちです。

日々花いけ.4 *9.2記(9.1作含む)

ギターのレッスンに行く途次、道ばたに赤い花が落ちていました。
いったんは通り過ぎましたが、気になって引き返し、レッスンを終えて帰るや、すぐ喜多村光史さんの水盤に生けたのが、一枚目です。



水に浸したらどうなるだろうという疑問を抱きました。
しかし、その後、歌のレッスンに続いて上野さんとの打ち合わせがあり、時間がなかったので水に浸した写真は撮れず、茶碗に水をはり、そこに浸したままで外出しました。
一夜を明かし、花だけを引き揚げて喜多村さんの水盤に置いたのが二枚目です。
色が脱けました。色がついている時はそれなりに、脱けてもまた、艶めかしいものです。生物感があります。



三枚目です。
色のついた水に、脱色された花を生け戻しました。
しかし、もとの花にあったような、深紅の水にはなっていません。水の分量に対して、花の色が少ないのでしょうか。着物の染料に使うためには、ずいぶんたくさんの植物を用いる必要があるようです。
一種の花材で三枚の写真というのは、作品として弱いようです。
しかし、変化には興味を抱きましたので、三枚とも掲げます。

2010年9月1日水曜日

上野雄次さんとの打ち合わせ、など *9.1記(9.2補遺)

毎週水曜日は、朝9時からのギター、11時30分からの歌と、レッスンが続きます。
13時から、谷中ボッサにて、上野雄次さんと打ち合わせをしました。15分ほど遅刻しました。

即興ということに関する、上野さんの、ひとつの見解。

〈完成を目的としない〉

1983年か4年だったと思いますが、即興ダンサーの田中泯氏と共演しました。一か月、毎日踊り続けるうちの一日、共演のひとりに選んでいただいたわけです。何をしたかというと、伊福部昭氏の音楽が流れる中、私は45分間、語り続けました。彼は踊り続けました。語りの内容は、まったくの即興です。それが、私が初めて行った、即興表現でした。

しかし、その何か月か後、今度は一人で即興の語りを行い、無残に失敗しました。言葉が、出てこなかったのです。
それ以来、自分にとっての即興とは何で、どういうことなのか、自問自答してきました。
その失敗が、私にとって、表現の原点になっています。
ひとつの結論として、私は即興に向いていないと思っています。
向き不向きは誰にでもあるので、別に恥ではありません。表現の形、その人の表現によって、向き不向きというより、しようとすることは違いますし、違わなければならず、何でもできる人などいるわけがありませんので、私は即興に向かない、それでいいと思ってきました。
即興で詩を詠む人にも会いましたが、自分の表現ではないと思ってきました。
それができることを、うらやましいとも、すごいなとも思いません。私の言語表現とは、まったく違うところを向いています。
そんな私は、「花魂 HANADAMA」では、即興を行います。
まったくゼロからの即興ではありません。私なりの即興です。
理由については、後で述べます。

*(以下、補遺)

田中泯氏との共演の後、ひとりで行った即興での語りが、無残に失敗したと書きました。
そのことの心的後遺症があるのかもしれません。
それを払拭した時、私なりの、今の私なりの即興表現ができるかもしれません。

田中泯氏と共演し、成功したかに見えた即興の語りですが、あれは、ただの講演、口演というだけのもので、表現だったのかなと省みています。

なぜ、「花魂」で即興を行うのか。
ひとつは、意味の世界から抜け出る必要を感じているからです。
詩唱は、意味を伝えるものでしょうか?
あるいは歌も、意味を伝えるものでしょうか?
舞台上からは意味が伝わらなくてもいいように思います。
心が伝わった後、会場で配られた詩集を、家に帰ってからひもとく。その時に新たな感興がおこればいいのでは?
芝居でも映画でも、観ながら、いちいち意味を考えたりしません。まず全体を、とらえるのではないでしょうか?
女優がきれいだったとか、画面に映った空が青かったとか、役者が語るたびにつばきが飛んでいたとか、そんなことを感じながら観ているのです。意味は後で考える。いえ、考えようとも思わず、ふと、心に浮かんでくるものでしょう。

上野さんは、完成をめざさないものと、即興の、ひとつの定義を行いました。
私なりに考えるところがあります。
それはまた書くとして、「花魂」で即興を行う理由は、意味の世界を脱するためです。

日々花いけ.3 *8.31記(9.1作)



落ち葉を置いてみました。
もう若くない、いえ、死んでいるものに、さまざまな顔が見えます。
作為はありません。
作為の感じられないものこそ最上、至上でしょう。
人のすることですから作為はあるのですが。
しかし、作為が見えても、なお力があれば、他人の批判を超えていけます。
批評を超えていけるといってもいい。それがかなえられればと思います。
葉の角度が決まらないまま寝てしまいましたので、早朝、いけました

2010年8月31日火曜日

明日は上野雄次さんと打ち合わせ、ボッサにて *8.31記

「花魂 HANADAMA」で私は何をするのか?
方針は決まっていますが、より具体的に打ち合わせます。
阿佐ケ谷駅前のバーガーキングで、そのための原稿を書いています。
ここは、電源があるので、コンピュータを使うのに便利です。

先日、8月29日に書きました、「花魂」が私にとって何であるのかに、ひとつ、加えます。

8) 不特定多数を対象にする場で、初めて他人の詩を詠む機会になります。
古典を詠むであろうことをさしています。

(以下、続稿)

記録と記憶 *8.31記

『能のドラマツルギー 友枝喜久夫仕舞百番日記』を角川ソフィア文庫で買いました。著者は渡辺保です。先日、観世寿夫の『心より心に伝ふる花』を買いまして、その袖に、関連書籍として紹介されていたのです。
渡辺氏が、友枝喜久夫の仕舞に立ち合い、その印象を次々に記していったもので、何年くらいかけたかわかりませんが、友枝喜久夫論になっており、謡曲の解説にもなっており、なかなか刺激的です。
上野さんの花を、花いけに立ち合って、このように記してゆくのもいいと思いました。先日、「花魂 HANADAMA」のチラシを置かせてもらいに行った古書店で、その主人が、上野さんの花いけを見たことがあるといい、それは茨城かどこかで行われた、筏を使ったものであったといいました。同様のことを、そう、青山のギャラリーの方から聞いたことがありますので、皆さんの記憶に、どこか残っているのだなと思ったのです。
「上野雄次花いけ百番日記」。意味のないことではないはずです。



「花魂 HANADAMA」で何をどう詠むか。考えています。「友枝喜久夫仕舞百番日記」も、その手がかりを得たい思いで購入したのです。

どう詠みますか? *8.31記

ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ

西行の歌です。「山家集」に載っている、あまりにも有名な歌です。花の歌の、代表作といっていいでしょう。
「そのきさらきの もちつきのころ」とは、釈迦入滅の時期をさすといいます。そのころに死ぬのが西行の理想だった。だから、わざわざ「その」をつけています。実際に、彼はその時期に死んだそうです。
この歌だけを読んでも、本当に意味するところは、私にはわかりません。
こういう表現は、あまり好きではないのです。背景にいろいろあって、それを知らなければ、作品を味わえないというのは。
私には教養主義に感じられます。
古典にはそういうものが多いようです。だから、教養人が、古典を好むのでしょうか。
素直に読んで正しく感じられる作品。そういったものを作りたいと思います。

ただ、釈迦入滅と限定せず、人にはさまざまな「その」があるのだから、詠む人の「その」、思いをそこにこめていい、というなら話は別です。つまり、作り手と詠み手の違い。さらに、読み手と詠み手の違いもあります。詠み手は自分を出します。詩唱者です。読み手、ここでは鑑賞者をさしますが、その人は、作り手の心を探ろうとします。私は、詩唱者です。

そのような、自分を出す詩唱が、できないでしょうか? 古典に対して。
現代短歌を詠みたい気がしますが、古典でじゅうぶんであり、じゅうぶん過ぎるほどです。古典を現代人として鑑賞する、現代人が鑑賞できる古典にする。それができるかどうかが、詠み手の力だと思います。

願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ

どう、詠めますか? (これは私への問いかけです)

2010年8月30日月曜日

日々花いけ.2 *8.30記


笹の葉を、石と一緒にいけてみました。
この作品がそうだというのではありませんが、スケールのある表現をめざしています。
それは、詩でも散文でも、詩唱でも。
こじんまりとまとまってしまうのが、私の表現としては、いちばんよくないと思います。

チラシを入稿しました *8.30記

「花魂 HANDAMA」の本チラシを入稿します。
上野さん分、〈art-Link2010〉事務局分を含めて900枚、印刷します。
〈art - Link2010〉事務局から、マスコミ向けの発送が、今度の日曜日、13時30分から行われるので、土曜日中に、チラシが私の手元に届いていればいいわけです。
kinko'sの西新宿店に行って最終の版下作成作業をし、近くのジョナサンから印刷屋にオンライン入稿し。
いつもと変わらない作業です。
自分で印刷所を持てたらと、いつも思います。

「花骸 -はなむくろ-」新篇書き始めました *8.30記

上野雄次さんの花いけに触発された詩を書き始めました。
「花骸-はなむくろ-」の続篇ですが、新篇としておきます。
書き出しは、このようになっています。
完成作では変わるかもしれません。
そして、「花魂 HANADAMA」では、即興詩唱として詠まれますから、
このとおりの形を、本番での完成品にはしないと思います。
何らかの、その時の感覚が、作品を変化させます。
そして、『花骸 -はなむくろ-』というからには、
初演どおり、「ヤマビル」の声を、また発声したいと思います。
意味だけを伝えようとするのではないということ。
そこには、即興性が、少しでもあるということを、私としては明記したいと思います。

(書き始め)
蝶が舞う道に
駆け抜ける蜥蜴(とかげ)の残像
蟬たちは空を向いて腕を折り
屍をさらす夏の日

この道はもう
何度も歩いてきた
学生時代から繰り返して
記憶に残る
後ろ姿だけの人々
追い越されて
どこに行こうとする
誰なのか
知らない人の背中を見送っている
葉陰に隠れ
樹の向こうに隠れて
その人の姿は見えなくなった
(つづく)

「ヤマビル」のこと *8.29深夜記

上野雄次さんと共演した舞台に、橘川琢さん作曲の『花骸 -はなむくろ-』があります。
四つの詩を結び、やがて時代が見えてくるという詩です。特に初めの連は、はっきり、泉鏡花の『高野聖』を意識しました。「ヤマビル」も出てきます。この『花骸-はなむくろ-』も、手がかりになりそうです。

2010年8月29日日曜日

twitter始めました *8月29日記

しかし、使い方がよくわかっていません。
以前作って、半年間、何もせず、何人かにフォローしていただいていましたが、どう返していいかわかりません。
返す必要もなく、つぶやくだけでいいのでしょうか?
ともかく、使っていきます。そして、慣れていきます。

日々花いけ.1 *8.29記


本番まで、毎日、花いけをします。
しかし、これができたからといって、即興詩唱がうまくいくわけではありません。
表現としては、まったく関係のないことです。
気持ちです。花道家と一緒に表現をする。そこに、自分の気持ちを集中させていきたいのです。
第一回の花は、八重向日葵(やえひまわり)です。
器は、今日、元麻布の、さる山で拝見した、喜多村光史さんの水盤です。
これを毎日用いて、苔がそこに置かれているだけでよい、そんな、私なりの花いけをします。



なぜ、花いけをしようと思ったか。
さる山の、大きさからいえば小さな水盤に生けられた上野さんの花を見て、これは高野聖だと思いました。
それ自体は小さいのですが、そこに奥行きと深さがありました。
高野聖の、「ヤマビル」がぼたぼた落ちてくる、飛騨山中を想い浮かべました。
久々に、上野さんの花を見て、詩を書きたいと思いました。
ここしばらく、共演者としての意識が先に立っていたので、客観的になれなかったのです。
詩を書きます。
そして、花いけを同時にしようと思いました。

「ヤマビル」発生 *8.29記



注意

この付近では、写真のような
「ヤマビル」が発生することが
ありますので、ご注意下さい。
千代田区道路公園課

市ケ谷の土手を歩いていて、こんな、表示を見つけました。
泉鏡花の『高野聖』そのままです。飛騨の山中をゆく高野聖の頭や背中に、ぼたぼたぼたぼた、山蛭が降ってきます。
JR市ケ谷駅に近い、お堀に沿った土手です。東京の真ん中で「ヤマビル」の文字を見ようとは思いませんでした。
しかし、写真でもわかるように、緑がそれなりに深く、手つかずの印象で、「ヤマビル」が発生しても不思議ではありません。
この印象を、「花魂」に生かせないかと思いました。

2010年8月28日土曜日

「花魂」と私 *8.29記

上野雄次さんのお考えは別にあると思います。
私自身の、「花魂」への考えを綴ります。まず、メモとして。

1)木部与巴仁が試みる、初めての即興であること。

2)上野雄次さんと、初めて一対一で向き合うこと。

3)花をテーマに、初めて一人で舞台で表現すること。

4)「声と音の会」以外で、初めてボッサで公演すること。

5)初めて、楽器をまったく伴わず、作曲家とも一緒に行わない会になること。

6)初めて、木部与巴仁以外の人の文章を募り、これをもとに表現すること。

7)毎日、初めてパフォーマンスをすること。



「花魂」のチラシを、以下に置かせていただきました。

cafe 谷中ボッサ(谷中)

古書 信天翁

古書 ほうろう(千駄木)

「花魂」まで1か月 *8.28記

●本番まで1か月となりました。〈初日は9月29日水曜日です〉心覚えのため、あるいは考えを進めるため、文章を書き続けます。

昨日、ブログに掲示してあるチラシを作成し、上野雄次さんに届けました。
上野さんは、昨日は初日の展覧会で、麻布十番にいました。
ご案内のメールを引用します。



上野雄次(花道家) 喜多村光史(陶芸家)
「皿と盤」

喜多村光史は、上野雄次からの提案を受け、上野が「はな」を入れる皿と盤をつくることを試みます。
皆様のご来場を心よりお待ちしております。

8月27日(金)、28日(土)、29日(日)
13時-18時

さる山
港区元麻布3丁目12-46 和光マンション101
03-3401-5935
大江戸線/南北線
麻布十番駅より徒歩5分