花魂 HANADAMA

花魂 HANADAMA
花とやもり チラシ

2010年10月15日金曜日

上野雄次氏、「はないけ教室」

10月15日(金)・16日(土)に開催される「はないけ教室」のお知らせが、上野雄次さんから届きました。以下、メールを引用します。

世田谷の深沢にあります
JikonkaTOKYOでの
「はないけ教室」の日程です。

●日時
15日金、16日土

毎月第3金・土曜
13:00~/16:00~

●場所
JikonkaTOKYO
世田谷区深沢7-15-6
http://jikonka.com/

●受講料
1回:5000円(花代込み)

●申込み先
jikonka-tokyo@dg8.so-net.ne.jp
03-6809-7475

ug..........ueno@docomo.ne.jp

●上野雄次HP
http://ugueno.com/

少しご興味ある方や
遊びに行ってみようかなという方もお気軽に見学にいらして下さい。

お知り合いの方ではないけに興味がある方がいらしたらお知らせ頂ければ幸いです。

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神宮前メコプシスでの
「はないけ教室」のお詫びとお知らせです。

残念ながら、暫くの間お休みさせていただくことに成りました。
今のところ再開のめどはついておりません。
お付き合い頂きました皆様急なお知らせになってしまって誠に申しわけありません、そしてありがとうございました、心より感謝申し上げます。

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2010年10月6日水曜日

「花魂 HANADAMA」最終日の断片.3


細かくはまた書きますが、これで断片映像は以上です。少しずつ、文章を更新して行きます。
ただ、基本的には、これで「花魂 HANADAMA」ブログは終了になります。
記録として、残そうと思います。もし、ご覧になられた方がおられましたら、ご感想やご質問などいただけると幸いです。

<補遺10.8>
どの回も心に残ります。内容が違いましたから。-共通点はあって、それは西行の「ねかわくは 花のしたにて 春死なん そのきさらきの もちつきのころ」を詠み続けたこと-しかし五日目の、ヤマビルの回は、私がこのブログでも、当初より執着を持っていたモティーフを表現しただけに、思い入れ深いものがあります。これは、私の詩唱の、レパートリーにします。しろといわれれば、どこででもできるようにしておきたいと思います。

〈補遺10.10〉
五日目、レースのワンピースをまとい、椅子を相手に詩唱しました。かつて、初めてビデオ作品を作った時、誰もいない部屋に、たくさんの、誰も座っていない椅子だけがある映像を撮りました。椅子というものに、ひかれるようです。

〈補遺10.11〉
早くも、「花魂 HANADAMA」最終日から一週間が経ちました。あれは何だったのだろうと思います。しかし、トロッタ12の準備をし、「花魂」期間中に書けなかって原稿を書いていて、きちんとした反省ができないままでいます。

「花魂 HANADAMA」最終日の断片.2




最終日、三つめの映像です。
そして、四つめの映像です。
最終日だから、五つもアップしたというだけではなく、形として変化が多かったのだと思います。
先程、最終日は反省点が多かったと書きましたが、自分としてできることはしました。しかし、もっと他にできることがあったのではないか。他のことは、私らしくない、普段の私ならしそうにない表現方法があったのではないかというような意味です。

「花魂 HANADAMA」最終目の断片




たいへん遅くなりましたが、「花魂 HANADAMA」六日目の断片映像をご覧いただきます。六日目は、私としては、たいへんに反省の多い回となりました。そして上野雄次さんの物理的な力が、最も発揮された回でした。
うれしかったことは、花占いを選んでくれたピアニストの森川あづささんに加え、しばしば上野さんとコラボレーションをしている俳人の生野毅さんが、十句を寄せてくれたことです。しかし、なかなか覚えられまぜんでした。間違えています。正確な句を掲げておきます。

あかりとり受苦とは一羽か一輪か
しかじかの夜叉の剥落白木蓮
薔薇の葉の屈折率で千秋楽
母の息また別の母の息寒椿
咲いている摘まれるまでは咲いている
藤棚は大病院の影を欠き
傾斜地は模造鈴蘭燃えゆくまで
石楠花と初潮分かたぬ昼の道
花覗く子まずは漆に似て
夜桜投げる果て誰が静脈ぞ

二つ目の映像は、私が手にした天井の蓮を取って詩唱しているところ、上野さんが横合いから取って、生けようとする場面です。
コラボレーションとは何か? 相手を感じるとは何か? アンサンブルとは? 即興とは? 多くのことを考えました。私には私の考えがあります。しかし、それが宙に浮くこともあるのだと思いました。浮いた考えをどうするかが問題です。
ご覧いただいてわかるように、私たちを取り巻く、たくさんのお客様がお越しになりました。ありがたいことです。

2010年10月5日火曜日

「花魂 HANADAMA」が終わりました

昨夜を持ちまして、「花魂 HANADAMA」が終了しました。六日間、すべて内容の異なるライヴ・パフォーマンスでした。
六日目の断片映像は、後でアップします。
すべてを終えて、さまざまな反省点があります。それは、否定的な意味ではなく、即興詩唱者としての私を見つめる、ということです。

これから練習、いや、私的な本番をしてきます。
五日目の回が、きれいにまとまり過ぎたと書きました。五日目と同じテーマで、何ができるか、試します。それを、私のレパートリーにしようと思います。即興なので、詩唱する細部は異なりますが、同じテーマを再表現することができます。
「花魂」の記憶が身体にあるうちに、-私としては七日目といってもかまいません-本番をしてきます。

2010年10月4日月曜日

「花魂 HANADAMA」五日目の断片.2

似たような映像とはいえますが、五日目の断片映像をもう一点、掲げます。
旅の僧と妖しい女が市ヶ谷の土手で出会うという、その点だけを決めて臨みました。僧はまた旅に出なければいけませんので、何とかして男と女を別れさせる必要があります。その手段を考えながら詩唱しました。(考えていたので、その分、動きに影響が出たかもしれません。おそらく出ました)
大きな反省があります。それを反省するということ自体を反省して、これを書きます。
即興なのに、あまりにもきれいなストーリーにまとまり過ぎたのではないか? と思いました。もっと支離滅裂でもよかったのでは?
今回の「花魂」で、約1時間、ストーリーを語り続けたのは初めてです。他の日は、寄せられた和歌や詩を詠んでいましたから、それに頼ればよかった側面があります。しかし今日は、もう寄せられた詩や文章はなく、すでに詠んだものを詠んでもいいとはいえ、私の中で、このブログを書き始めた時からの懸案であった、ヤマビルのストーリーを詠みたい気持ちが湧いてきました。となると、即興詩唱で詠まなければいけません。1時間も語り続けられるのかな? と思いました。しかも、書こうとして書けなかった詩を。めちゃくちゃになって恥をさらすかもしれないという思いがありました。
ところが、むちゃくちゃになりませんでした。僧は女に抱かれるうち、ヤマビルにされそうになります。市ヶ谷にいるヤマビルは、全部、女が姿を変えた、もとの人間なのだそうです。これらは詠みながら作った設定です。ヤマビルにされたのでは、旅が終わってしまいます。何とかして、旅にやらなければなりません。男は逃げ出そうとして女と格闘し(その格闘は、男女の交わりだったかもしれません)、倒れ付した女を見下ろして、やはり死ねなかったといって、泣きながら去って行きます。(やはり格闘は交わりかもしれず、男の魅力に触れて、女は彼を、ヤマビルにしなかったのかもしれません。事実、『高野聖』は、他の庶民は動物に変えたのに、僧は変えずに旅立たせました。一応、彼の清らかな心にうたれて、という説明があります。本当にそうかどうかはわかりません)
小説のように細部のストーリーに作り込みはありませんが、だいたいは納得できる感じです。私としては、ストーリーが成立していると思います。しかし、それでよかったのかどうか。格闘の場面で、上野さんがどこにいて何をしているのか、私は椅子を背後から抱いて背もたれに顔をうずめているのでよくわからず、かつ、昨夜はお客様がいっぱいだったので、ぶつかってはいけないと思い、さらに、ボッサで借りた椅子を使ったので壊してはいけないとも思い(昼間は、古道具屋があれば買って来ようかとも思っていました)、いろいろな制約がありました。椅子と、もっと濃厚にからんでもよかったかと思います。椅子を相手に交わりを表現するなど、私が観客なら見てみたいと思います。ごろごろ転げ回るところも、もっと派手でよかったのでは? しかし、できませんでした。
もちろん、私には不足でも、お客様には、あれでじゅうぶんだったかもしれません。とかく、やり過ぎると、それは自己満足であり、お客様には過剰と映りがちですので。自分には不足くらいでいいのかもしれません。演出家のもと、練習して所作を決めれば、そのへんの見極めがついたのでしょうが、即興なので、万事、手探りで進めなければなりませんでした。
きれいにまとまって不満をいうのはおかしいのですが、より大きなスケールを求めてのことです。今夜、最終回の公演で、決着させたいと思います。

「花魂 HANADAMA」五日目の断片

「花魂 HANADAMA」五日目の断片映像です。お恥ずかしいながら、私のビデオを回すのを忘れました。思い出した時はすでに遅く、私は椅子を背後から抱いて、床にころがっていました。そこで、上野雄次さんの記録映像を拝借しました。撮影は、李江嵐さんです。ありがとうございました。いつもの私の映像は固定なので、違った視点から撮られているのが興味深く映ります。
内容は即興ですが、題材は、泉鏡花の『高野聖』です。冒頭に現われるヤマビルを登場させ、それがJR市ヶ谷駅のそばの土手にいるので、現在と過去を、ヤマビルで結びつけました。旅の僧が、『高野聖』中の、妖しい女に会います。レースのワンピースを着た私は、その女です。旅の僧が、椅子です。女が後ろから僧を抱える場面は、忘れがたいもので、今回、生かしました。
「花魂」では初日に、西行の「ねかわくは 花のもとにて春死なん そのきさらきの もちつきのころ」を詠み、これが一貫したテーマになりました。その西行が、死のうとして死ねないまま、21世紀の現代まで生きて、旅をしています。そして谷中ボッサにも来たということ。市ヶ谷の土手も歩き、ヤマビル注意の看板を見たと思います。妖しい女に会うのは高野聖ですが、鏡花が書いた『高野聖』が、死ねない西行ではないと、誰がいえるでしょう。西行だったかもしれません。西行が、妖しい女に背後から抱かれなかったとはいえないのです。
五日目は、非常にエロティックな内容になりました。しかし、ためらいはありません。ああ、本当は、女に背後から抱かれた僧に、花の中にいるようだという、大切な思いを語らせるべきでした。『高野聖』に忠実に行うなら、それをすべきでした。流れの中で、その言葉が出てきませんでした。即興であり、『高野聖』の再現ではないのですから、失敗とはいえません。しかし、心残りです。明日、詠みましょうか。つまり、花はエロティックなものだということを、いいたかったということです。

2010年10月3日日曜日

「花魂 HANADAMA」四日目の断片

昨日は、初めて上野雄次さんと一緒に舞台に上がりました。これまでは、先に上野さんが入って、生けている花を私が目にする、というところから始めていたのです。
一つ目は、生まれて初めてというオルガンを、上野さんが弾きました。楽器は、調度品として、ボッサに置かれているものです。ここにあるものは使いたい、という気持ちだったそうです。その傍らで、私は全身を土色に塗っています。思い入れとしては、「ねかはくは花のもとにて春死なん」で、土にまみれた西行法師、ということです。「泥で顔を洗うような人生を送ってきたから」という即興詩の、身体表現でもあります。
二つ目は、私が木の枝をくわえて横たわり、それを含めて、上野さんが花いけを始めるところです。くわえた枝を花鋏で切るところも映っています。当初、私も花のひとつになりたい、と思っていましたが、具体的に、その願いがかなった瞬間でした。この時に私が歌っているのは、宮﨑文香さんが寄せてくれた、工藤直子さんの詩「はな」です。メロディは即興です。歌詞がないので、何を歌っているかわかりませんが、私は、「はな」の詩文からメロディを作りました。
今夜は五日目が行われるわけですが、たいへん貴重な公演だと実感しています。誰かと一緒に舞台をつとめるというのは、普通は年に1回でしょう。終われば、また来年もということです。それを六日間続けているのですから、六年分を一度にしていることになります。毎年でなければ、十年分かもしれません。毎晩違う内容なのですから、そんな仮定も成り立つと思います。

2010年10月2日土曜日

「花魂 HANADAMA」三日目の断片

「花魂 HANADAMA」三日目の断片映像です。
一つ目は、私はドアの外にいて、扉を開閉しているだけです。何度目かに開けた時、西行の「ねかわくは 花のもとにて 春死なん」を、外で、節をつけて歌いました。実際は、「水をすくえば月は手にある、花をもてあそべば香りは衣に満ちる」も歌っています。その直後、扉が開くや、さっと飛び込んでいきました。
二つ目は、上野雄次さんが花いけをしている最中、岩崎美弥子さんの詩『夕刻の薔薇』を、マッチの明かりで詠みました。ご覧のとおり、火が燃えている間だけ詠む、という繰り返しです。おそらく暗くなるだろうと予想でき、岩崎さんの詩は、短時間で暗記できなかったので、詠もうと思い、暗い中で詠むなら、例えばペンライトで照らすようなことではなく、何らかの演出が必要だと思ったのです。
この後は、画面として暗くなるので掲げていませんが、上野さんが花いけを続け、私はうつぶせになったまま、歌い、詠みと、即興で言葉の表現を続けました。
全体に、詩唱というより演劇的であるという感想をいただきました。私は、演劇の尾を切りたいと思ってきましたが、そう思うのは私だけで、お客様は、決して否定的な意味で演劇的といっているのではありませんでした。結局、私の表現は、そこに向かうのかもしれません。
〈補〉
初日に、死ねずに今まで生きている西行が、谷中ボッサに行き着いた、という設定が生まれました。偶然ですが、大西ようこさんが送ってくださいました西行の歌、「ねかはくは花のもとにて春死なん」を詠む以上、何らかの西行についての設定が生まれるのは、必然であったかもしれません。
死ねずに生きているという設定は、能の小町物に通じるもので、すでに能に近いことをしているようです。谷中ボッサという、極度に狭い空間の特殊性もあります。それが、演劇的であるという評価を生んだとしても、何ら不思議ではありません。それならそれで、演劇的なる地点に足を定めてもいいかもしれません。
三日目の映像は、前半に終始していますので、暗くてもよいと思うなら、後半の断片も、一点ほど掲げたいと思います。

2010年10月1日金曜日

「花魂 HANADAMA」二日目の断片

ワンピースを着て登場しました。思い入れとしては、ボッサを訪れた女、です。その店の天井に、蓮の葉が見えた。そして語り出される、太宰治の『斜陽』。田中修一さんが、花の詩文として、寄せてくれました。女は、『斜陽』の人物です。
断片のひとつは、約30分経ったころ、天井から落ちて来た蓮の葉を私が垂直にくわえ、あえていうなら、人間生け花のようになって、くわえたまま『斜陽』の一節を詠んでいる場面です。
二つ目は、40分経つころでしょうか、仰向けになった私と、上野さんがどういうことをしたかわかる場面。ボッサじゅうに、赤い糸がはりめぐらされています。
『斜陽』の詩唱に加えて、初日に詠んだ、于良史『春山夜月』の「掬水月在手(水を掬すれば月 手に在り)弄花香満衣(花を弄すれば香は衣に満つ)」を即興で歌いました。歌詩は、「水をすくえば月は手にあり 花をもてあそべば香りは衣に満ちる」と、わかりやすい現代日本語にしました。最初の「手にあり」は「手にある」でもいいかもしれません。
歌は、甘くなりそうだったので、初日には歌いませんでした。初日に歌えればよかったのですが。
上野雄次さんの赤い糸を、たくさんの人に見ていただきたかったと思います。特に私の左足にからみましたが、あれで倒れたら、どうなったでしょうか。壁のレールにひっかけてあったので、レールが壊れてしまったかもしれません。動きながらそっと確かめて、その上で倒れればよかったかもしれません。糸の扱いも、倒れるだけでなく、自分からからんでいくとか、いろいろできたと思います。終わってみれば、反省があります。