花魂 HANADAMA

花魂 HANADAMA
花とやもり チラシ

2010年10月4日月曜日

「花魂 HANADAMA」五日目の断片.2

似たような映像とはいえますが、五日目の断片映像をもう一点、掲げます。
旅の僧と妖しい女が市ヶ谷の土手で出会うという、その点だけを決めて臨みました。僧はまた旅に出なければいけませんので、何とかして男と女を別れさせる必要があります。その手段を考えながら詩唱しました。(考えていたので、その分、動きに影響が出たかもしれません。おそらく出ました)
大きな反省があります。それを反省するということ自体を反省して、これを書きます。
即興なのに、あまりにもきれいなストーリーにまとまり過ぎたのではないか? と思いました。もっと支離滅裂でもよかったのでは?
今回の「花魂」で、約1時間、ストーリーを語り続けたのは初めてです。他の日は、寄せられた和歌や詩を詠んでいましたから、それに頼ればよかった側面があります。しかし今日は、もう寄せられた詩や文章はなく、すでに詠んだものを詠んでもいいとはいえ、私の中で、このブログを書き始めた時からの懸案であった、ヤマビルのストーリーを詠みたい気持ちが湧いてきました。となると、即興詩唱で詠まなければいけません。1時間も語り続けられるのかな? と思いました。しかも、書こうとして書けなかった詩を。めちゃくちゃになって恥をさらすかもしれないという思いがありました。
ところが、むちゃくちゃになりませんでした。僧は女に抱かれるうち、ヤマビルにされそうになります。市ヶ谷にいるヤマビルは、全部、女が姿を変えた、もとの人間なのだそうです。これらは詠みながら作った設定です。ヤマビルにされたのでは、旅が終わってしまいます。何とかして、旅にやらなければなりません。男は逃げ出そうとして女と格闘し(その格闘は、男女の交わりだったかもしれません)、倒れ付した女を見下ろして、やはり死ねなかったといって、泣きながら去って行きます。(やはり格闘は交わりかもしれず、男の魅力に触れて、女は彼を、ヤマビルにしなかったのかもしれません。事実、『高野聖』は、他の庶民は動物に変えたのに、僧は変えずに旅立たせました。一応、彼の清らかな心にうたれて、という説明があります。本当にそうかどうかはわかりません)
小説のように細部のストーリーに作り込みはありませんが、だいたいは納得できる感じです。私としては、ストーリーが成立していると思います。しかし、それでよかったのかどうか。格闘の場面で、上野さんがどこにいて何をしているのか、私は椅子を背後から抱いて背もたれに顔をうずめているのでよくわからず、かつ、昨夜はお客様がいっぱいだったので、ぶつかってはいけないと思い、さらに、ボッサで借りた椅子を使ったので壊してはいけないとも思い(昼間は、古道具屋があれば買って来ようかとも思っていました)、いろいろな制約がありました。椅子と、もっと濃厚にからんでもよかったかと思います。椅子を相手に交わりを表現するなど、私が観客なら見てみたいと思います。ごろごろ転げ回るところも、もっと派手でよかったのでは? しかし、できませんでした。
もちろん、私には不足でも、お客様には、あれでじゅうぶんだったかもしれません。とかく、やり過ぎると、それは自己満足であり、お客様には過剰と映りがちですので。自分には不足くらいでいいのかもしれません。演出家のもと、練習して所作を決めれば、そのへんの見極めがついたのでしょうが、即興なので、万事、手探りで進めなければなりませんでした。
きれいにまとまって不満をいうのはおかしいのですが、より大きなスケールを求めてのことです。今夜、最終回の公演で、決着させたいと思います。

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