花魂 HANADAMA

花魂 HANADAMA
花とやもり チラシ

2010年10月2日土曜日

「花魂 HANADAMA」三日目の断片

「花魂 HANADAMA」三日目の断片映像です。
一つ目は、私はドアの外にいて、扉を開閉しているだけです。何度目かに開けた時、西行の「ねかわくは 花のもとにて 春死なん」を、外で、節をつけて歌いました。実際は、「水をすくえば月は手にある、花をもてあそべば香りは衣に満ちる」も歌っています。その直後、扉が開くや、さっと飛び込んでいきました。
二つ目は、上野雄次さんが花いけをしている最中、岩崎美弥子さんの詩『夕刻の薔薇』を、マッチの明かりで詠みました。ご覧のとおり、火が燃えている間だけ詠む、という繰り返しです。おそらく暗くなるだろうと予想でき、岩崎さんの詩は、短時間で暗記できなかったので、詠もうと思い、暗い中で詠むなら、例えばペンライトで照らすようなことではなく、何らかの演出が必要だと思ったのです。
この後は、画面として暗くなるので掲げていませんが、上野さんが花いけを続け、私はうつぶせになったまま、歌い、詠みと、即興で言葉の表現を続けました。
全体に、詩唱というより演劇的であるという感想をいただきました。私は、演劇の尾を切りたいと思ってきましたが、そう思うのは私だけで、お客様は、決して否定的な意味で演劇的といっているのではありませんでした。結局、私の表現は、そこに向かうのかもしれません。
〈補〉
初日に、死ねずに今まで生きている西行が、谷中ボッサに行き着いた、という設定が生まれました。偶然ですが、大西ようこさんが送ってくださいました西行の歌、「ねかはくは花のもとにて春死なん」を詠む以上、何らかの西行についての設定が生まれるのは、必然であったかもしれません。
死ねずに生きているという設定は、能の小町物に通じるもので、すでに能に近いことをしているようです。谷中ボッサという、極度に狭い空間の特殊性もあります。それが、演劇的であるという評価を生んだとしても、何ら不思議ではありません。それならそれで、演劇的なる地点に足を定めてもいいかもしれません。
三日目の映像は、前半に終始していますので、暗くてもよいと思うなら、後半の断片も、一点ほど掲げたいと思います。

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