読み込んでいないためですが、現代歌人の歌に、やはり心引かれる私がいます。現代人ですから、それは当然のことでしょう。
古典の歌に、なかなか、同調できるものがありません。宗教観に覆われており、かつ、時代の美意識が、現代人の私と違うのです。
先に書きましたが、教養性があります。そのようなものに左右されず、ストレートに表現され、味わえるところが、やはり現代の作品といえるのではないでしょうか。
そして、歌といい詩といい、「花魂 HANADAMA」では、何も花を詠んだ作品に限って取り上げることはないのかもしれません。
岡野弘彦氏の歌。
黒髪を手にたぐりよせ愛(かな)しさの声放つまでしひたげやまず
この歌を、私は花を感じます。花の映像が浮かんで来るのは、単なる連想ではないと思いたいのです。男の私にとってですが、女性と花は、切っても切り離せません。
折口春洋の歌。
かくばかり 世界全土にすさまじきいくさの果ては、誰か見るべき
朝つひに命絶えたる兵一人木蔭にすゑて日中(ひなか)をさびしき
もし、この二首に花の存在を想像できれば、それはすさまじいものとなるでしょう。
歌人、釈迢空(折口信夫)の歌です。
葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり
私に、『冥(めい)という名の女』と題した詩があります。
くちなしの
真白き花に手を伸ばし
物いいたげに微笑む女
湧き立つ思い
抑えるすべを知らず
日傘の陰で
瞳はさらに光る
唇はさらに輝く
肌(はだえ)に散る朱(あか) たちまちに
顔寄せて花を手折らず
食らわんばかりなり
炎(ほむら)さえ舌先に燃え
女の名は 冥
ひとり 生きる
その身を与えし男たち
心のうちにすでになく
ただ眼前に
花 群がりて咲けり
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