
阿佐ヶ谷は樹々の多い町です。
空から枯れ葉や枯れ枝が降ってきます。
道で拾った枯れ葉を、瓦礫の山にいけてみました。
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花材の枯れ葉は、数日前の拾って、机に置いておいたものです。
結果的には、数日経って、使い方がわかったというところですが、ここしばらく、書くことについても、そういうケースが多いことを感じます。
すぐに書き上げず、今日はここまでという見極めをして放置し、次の日に最初から見直して書き継いでいくわけです。夏の間、ずっと書き続けていた馬渕薫氏についての原稿がそうでした。そうして、結果的に、400枚の原稿ができました。
即興的ではないと思います。
自分に対して、決断が遅いとか、迷いがあるとか、そんなことが自覚していません。決断も迷いもない方だと思います。しかし、表現ということにおいて、時間をかける自分を、最近、自覚しています。
『花骸-はなむくろ-.2』についても、ある程度書いていますが、どうしても先が見えないので、放置しています。
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磯子という町 *9.3(9.4)記
作曲家・田中修一さんを取材するために、横浜の磯子まで行きました。最寄り駅は磯子、バス停は間坂です。坂の下まで、かつては海であり、現在の駅の向こうは海水浴場だったそうです。
間坂という名があるとおり、田中さんの家は、丘の上にあります。入り組んだ細い坂道を抜けてゆきます。古い家が多く、いかにも、かつての海辺の町を想わせるただずまいです。
上野さんのプロフィールの「地脈を読み取り」という言葉を思い出しました。実際、植物が多いのですが、かつては植物が生える地脈、のようなものがあったのでしょう。埋め立ててしまい、表面上はわからなくなりました。しかし、見えない地脈のようなものが、きっとあることでしょう。感じたいと思います。感じて、詩唱にのぞみたいと思います。
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植物人間 *9.3(9.4)記
「花魂 HANADAMA」について考え始めた時、子どものころに観たテレビ映画について、思い出しました。
それは『ウルトラマン』の「ミロガンダの秘密」(藤川桂介・脚本)と「来たのは誰だ」(海堂太郎・脚本)、そして『ウルトラセブン』の「緑の恐怖」(金城哲夫・脚本)です。
子どものころにはなかった不満、不足感を、改めて観て感じました。それは申し訳ないことです。しかし、いくつかの植物の特徴を、ドラマに見出しました。
「ミロガンダの秘密」では、その植物はきれいな水の流れる場所に生きていること。
「来たのは誰だ」では、その植物は動物の速度で移動し、思考すること。通常の植物の概念にはおさまらない。
「緑の恐怖」では、その植物は、動物を自分たちの仲間にすることで増えてゆく。
確かに、植物に水はつきものです。動物全般に、水は欠かせません。しかし特に植物にとっては、そうです。保水能力が、植物の生存条件を分けます。
食物は、一見動かないようですが、動いています。変化しています。動物の目には動いていると見えないだけで、根がのび蔓が巻きつき花が咲く、すべて動いているゆえのこと。それが動物の速さを持つことが、これらドラマに共通する点です。
植物が、他の動物にのりうつって増殖する、ということはないでしょうが、植物の持つ、動物にない特異な能力が、そうした想像に結びついたのかもしれません。
「花魂」で、そうしたドラマについて語るわけではありません。しかし、何でも手がかりにしたいので、考えてみました。
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リハーサル、あるいは手合わせ *9.3(9.4)記
上野雄次さんに、「花魂 HANADAMA」でどんなことができるか、一種のリハーサルを申し入れています。
本番ですることの練習ではありません。本番は即興ですから、練習はありえません。
何ができるか、手合わせをしたいと思っています。
上野さんは応じてくださいましたが、目下、場所が見つかっていません。
心当たりがあるのですが、連絡が取れない状況です。
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