花魂 HANADAMA

花魂 HANADAMA
花とやもり チラシ

2010年9月5日日曜日

詩『花骸 -はなむくろ-』新篇を書いています *9.4記

神田神保町など、古本屋をめぐり、何か手がかりがないかと探しています。
これが無駄なことであるとは、数日前、結論づけたことです。
しかし、探しています。足掻きです。
古典を詠もうとし、『金槐和歌集』『山家集』『新古今和歌集』『古今和歌集』などをあたりました。中には詠みたい歌もあります。しかし、現代人の感覚には、やはり遠いと感じました。その遠い歌を、詠み方ひとつで今に引き寄せてみることがおもしろいと思ったので、それなりに意味はあることだと思います。

現代歌人の作品は、やはり、物故者であれ現代人ですから、あまり突飛な詠み方は申し訳ない気がします。突飛に詠むなら、自分の詩を使えばいいわけです--突飛というのは、奇矯さ、それ自体が目的ではなく、自由にというほどの意味--。現代歌人の作品は、いろいろと読んでいるならまだしも、ほとんど読まないので、付け焼き刃で集めても、私らしさは出ません。他人の歌を読んでいることに加え、研究をし、実際に歌集を持っていることが条件でしょう。持っていません。

歌といえば、私にとって、最も身近な存在が、岡野弘彦氏です。初めは折口信夫に対する関心から、岡野氏の『晩年の折口信夫』を何度も繰り返して読みました。折口は偉大な表現者だと思いますが、実のところ、彼と私の接点は、あまりないのです。認めるし、すばらしいと思いますが、肌合いの違いは修正しようがない。
それより岡野氏の方に共感するところが多くあります。『晩年の折口信夫』を通して触れていたのは、当然なのですが、書かれた折口ではなく、書いた岡野氏でした。岡野氏の考えに触れていました。
ろくに知りもしない歌人の歌を探すより、岡野氏の歌を、詠むなら詠むべきでしょう。少なくとも彼の考えについては、長い間、親しんで来ました。歌集も、すべてではありませんが持っているし、何といっても御本人と話したことさえあります。

黒髪を手にたぐりよせ愛(かな)しさの声放つまでしひたげやまず

何度も、この歌を好きだと書いてきました。
他にも、花の歌を探してみようと思います。

岡野氏に、『花幾年』『華の記憶』という随筆集があります。花を意識している歌人です。私の詩に『花の記憶』がありますが、これは偶然です。少なくとも自作詩に題をつける時、岡野氏の随筆を頭に浮かべてはいませんでした。

『折口信夫回想』(中央公論社・68)を西荻窪の古本屋で購入しました。かつては折口関係、岡野氏関係の本はほとんど持っていましたが、今はまったくありません。これを機会に、つまり「花魂 HANADAMA」について考えていることを契機に、岡野氏の作品に触れていこうと思いました。

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