千駄木の古書ほうろうと、日暮里の古書店・信天翁(あほうどり)にチラシを置かせていただきました。
その後、14時30分、谷中ボッサにて上野雄次さんと打ち合わせ。
搬入は、本番前日の18時から、3時間くらいの予定で行うことにしました。
とにかく、打ち合わせはいらないということ。当初、できればと思っていた予行演習も、最終的には行いません。
お互いがお互いに、例えばですが接触するようなことも、それが必然であるなら、すればいいということになりました。(身体の接触というより、していることへの接触、でしょうか)接触して、上野さんの花が壊れれば、そこからまた作ればいい。私の詩唱も、彼から何かの働きかけがあり、例えば物語が途切れるなら、そこからまた始めればよい、ということです。
上野さんに、私の、ボッサ観を問われたので、次のように答えました。
a) 何もないところから何かが始まる場所。何もないところから声が生まれ、言葉が生まれ、音楽が生まれる場所。
b) オープンしたころはもっと何もない印象だった。壁面展示もなかった。少なくとも初めて訪れた時は、真っ白な壁だった。ライヴもなかった。ボサノヴァのアルバムについて話をしたことが忘れられない。
c) ピエール・バルーがボサノヴァの源流を探るテーマで撮ったドキュメント映画『サラヴァ』。そこで、いろいろな演奏者がボサノヴァについて語り、演奏する。彼らが声を発し、演奏をすれば、そこに音楽が生まれる。どこでもいい。だから、「声と音の会」の第一回ゲストはピエール・バルーを招いた。
d) [上野さんは、ブラジルの印象を生かして、しつらいをしてみたいといいます。彼にとってのブラジルは混沌とした印象の土地]ピエールのビデオにも、混沌とした街の風景が出て来ます。そこにいる音楽の名人の話など。名人とはいえ、商業とはまったく無縁の人で、それでいいのです。私がいう、何かが生まれる何もないところというのは、いろいろなものがあり過ぎて混沌としていることと、同義ではないにせよ、似ています。
上野さんは、毎日、仕事をして、夜になって時間になれば来て、パフォーマンスをするといいます。私もその姿勢で行くでしょう。7時開演ですから、6時ごろに会場入りします。
私は、日録のようなものを、日々、作って配ることにしました。
夜になって、須弥山の花を生けました。
0 件のコメント:
コメントを投稿