水曜日、こうすれば即興詩唱になるかもしれない、その形が、決まってきました。
やはり、自分の心から、素直に生まれて来る言葉を、大切にして発声したいと思います。
岡野弘彦氏の歌を詠んでもいいし、源実朝の『金槐和歌集』でもいいのですが、
あくまで私の心と共振した歌を詠みます。
ただ問題は、お客様に聴いていただくものになるかどうか。
1時間を予定しています。無理にその時間を埋めなくていいと思いますが、
少しはボリュームのあるものにしたい、私の言い方では、スケールのあるものにしたい。
それに上野雄次さんと共演するのですから、それに見合った表現にしたいと思います。
勝手に始めて勝手に終るわけにはいきません。
また、共演というに足る内容にしなければいけません。
金曜日に、トロッタ12の合わせ、今井重幸先生の『シギリヤ・ヒターナ』を渋谷で行ないますが、
その前に、1時間ほど、試してみようと思います。
a) 1時間ないし、それなりの時間を持たせられるのか。適当なおしゃべりをするのではなく、一言や数語の断片であるにせよ、詩になっていなければと思います。
b) その時間、言葉を発し続けられるのか。上も合わせて、ゼロから言葉を紡ぐのは初めてのことです。
c) 言葉だけでなく音を、出してみます。ギターなり即興で弾ければいいのですが、それはできません。
d) 雑音でいいし、下水の音でもいいし、お客様の咳でもいいのですが、それに反応して言葉にできるのか。
e) 上はつまり、上野さんの気配に反応して声を出せるのか、ということです。勝手にするのではありません。
f) 上野さんに、何らかの、私への働きかけをお願いしようと思います。花いけをまったく見ず、気配のみ感じる方法もあると思います。
g) 言葉が連続しなくてもかまいません。正直な言葉を発せられるか。理路整然としている必要はまったくありません。
h) 私は肉体表現をするということ。トロッタでもすでにそうですが、からだを使った表現をします。ダンサーでも役者でも歌手でもなく、詩唱者という肉体表現者になる。できるか?
*
先日、疑問に思ったことを書いておきます。
ある方の朗読会に出ました。
その方は、朗読が初めてだったということです。1時間の舞台でした。
ひとりで1時間を持たせるのは難しいと思いますが、よく努めておられたと思います。
いろいろと刺激を受けました。
終った時、プロデュースをされた方がいいました。
ここにいるお客様は、その方の初めての朗読を聴いたわけです。
今日は初めてなので、声の調子や朗読の仕方について、わからないことがあり、不安定ですが、
10回をこなすころになると、必ず変わってきます。保証します。
そこまで続けるかどうかは、その方次第です、云々。
私は、別に変わらなくてもいいんじゃないかと思いました。
また、続けなくてもいいんじゃないかと思いました。
不安定でもいいんじゃないかと思いました。
その人らしさが出ていれば、何も問題ありません。
途中で水を飲んでも咳をしてもつかえても、疲れたからといって座ったり、無駄なおしゃべりをしても、
その人らしければ、かまいません。
常に太い声で聴く人を圧倒する必要などまったくありません。
私に関していえば、違います。
私は、自分を鍛えようと思いますし、鍛えた上で、舞台に立とうと思います。それが私です。
咳をしたり、つかえたり、ろれつが回らなくなったりすることのないようにしたいと思ってきました。
その成果を、トロッタでお聴きいただいていると思います。
ただし、「花魂 HANADAMA」については違います。
お見苦しい姿をお見せしてもいいと思います。
ありのままの姿と声で、1時間を過ごそうと思っています。
ですので、決まりきった歌集を詠み、そんなのは即興じゃないじゃないかといわれても、
私は生きている姿=即興をお見せしてお聴きいただいたのだから、これでいいのですというつもりです。
その方の朗読会に、プロデューサーのお言葉を含めて、私は示唆を受けています。
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